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2022年5月

2022年5月14日 (土)

金曜ロードショーで「ローマの休日」

金曜ロードショーで「ローマの休日」放送。
ゴールデンタイムの地上波でいわゆる名画を放送するのは久しぶり。
私自身は洋画は字幕で見るし、映画ファンは映画館に行ったり有料チャンネルを利用してでも見る。
でも、それだとライトな人たちに情報が伝わらない。

フジテレビの月曜9時の「元カレの遺言状」、綾瀬はるか目当てで見ています。
ドラマオリジナルなのか原作にあるのかは知らないけど、モチーフになっている名作ミステリーの選択が渋い。
特にクリスティ。
「ねじれた家」とか「忘られぬ死」とか。
こういう引用とか本歌取り的な手法の作品が好きだけど、古典作品をある程度共有が出来ていないと始まらない。

なので、話は戻りますが、映画の裾野を広げるためと話題の共有のために地上波の映画番組は必要だと思うのです。
来週は「ショーシャンクの空に」というし、古い作品の放送機会が増えるのは大歓迎。


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雉も鳴かずば撃たれまい

某フルート奏者出演回の「題名のない音楽会」後、批判が出ることも予想通りだったけど、擁護と持ち上げの記事が出るのもお約束。
「七光りじゃない」とか「専門家も認めている」とか。
この一家関連の報道の過去の経緯からして出るだろうなと予想はしていても、なぜ批判の声が収束するまで我慢して待てないのだろうかと思ってしまう。
感じは悪くなかったし、分不相応な番組に一回出るだけなら、とりたてて目くじら立てることでもなく、擁護記事など出さなければフェードアウトしていくこと。
でも、妙な持ち上げ記事などを見てしまったらムラムラと「どこが実力不足なのか」とか言いたくなってしまうじゃないですか。

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2022年5月10日 (火)

黄金のフルート

先日、「題名のない音楽会」を見ていて、「そういえばフルートの曲ってしっかり聴いたことがなかったな」と思い、岩城宏之のエッセイで名前を聞き覚えていたジェームズ・ゴールウェイのベストアルバムと「王の帰還」のサントラを購入。
ベストアルバムでは今のところ「Annie's Song」がお気に入り。
「緑の風のアニー」は美しい曲だけど、ジョン・デンバーの曲だからめっちゃアメリカなはずなんだけど、ゴールウェイの演奏で聴くとアイルランド民謡のような味わいがある。
「タイースの瞑想曲」やフォーレの「パヴァーヌ」などはヴァイオリンやチェロでお馴染みの曲だけど、フルートも素敵。

「王の帰還」は何度も観ているけど、音楽にゴールウェイとルネ・フレミングがフィーチャーされていることを知らなかったのは不覚でした。
「ロード・オブ・ザ・リング」の音楽は、「旅の仲間」の「May It Be」と「In Dreams」、「カザド=ドウムの橋」が好きでそればかり聴いていたのだけど、最近になって「Into The West」もいいなとしみじみ思っていたところ。
「王の帰還」のサントラを購入する良い機会となりました。

「題名のない音楽会」には某国民的アイドルの娘さんがフルート奏者として出演。
物腰とか話し方に母親の影響が感じられなかったことには好感が持てた。
今回は私がフルートの曲をちゃんと聴こうというきっかけになったけど、演奏については共演のピアノとチェロが気を使って音を出しているのがわかったので、まあ、そういう実力ですね。
丁寧で破綻のない演奏だったので、妹のパリコレ出演のように見ているこちらがいたたまれないという感じではなかったし、クラシック普及のために彼女のようなポジションの人がいるのはいいと思うので、身の丈に合った活躍の場を見つけて欲しい。

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2022年5月 6日 (金)

鎌倉殿の13人・承

題材的にも始まる前から面白くなると思っていたけど、予想以上の面白さ。
小栗旬はいつもながら所作と立ち姿が美しく、これまでは受けの演技が続いているけど、今後の変貌が楽しみです。

以下、どうしても「草燃える」との比較が多くなるけど、感想など。

上総介誅殺、「草燃える」の上総介はただただ尊大で無礼な人物として描かれていたので「邪魔者を除いた」という印象だったけど、今回の上総介は人間的で可愛げがあって、非業の死には心が痛みました。

八重の存在について、「平清盛」のイメージを引きずっていたので泰時の母という設定はちょっと意外だったけど、これもありかな。
新垣結衣が八重の「面倒くささ」をとても丁寧に演じていて、わりと好き。
比企の娘が正室となり子をなした後も泰時が後継ぎだったことを思うと母親もそれなりの家だったと思われる。
「草燃える」の泰時の母は大庭の娘だったし、伊東の娘が母というのは納得できる。

「草燃える」の北条政子は永井路子の原作にそって「自らは権力志向のない、周囲に振り回される情緒的な女性」として描いていたけ。
鎌倉殿の小池栄子の北条政子もその路線を踏襲しているキャラクター。
むしろ「草燃える」より御台所としての政子の未熟さがしっかり描かれていて、「北条政子」や「炎環」の政子像により近いと思う。
「草燃える」の岩下志麻も設定や役作りは原作に忠実だったけど、なにせ岩下志麻だし、承久の乱の演説の迫力もあって、なんとなく強い政子像の印象が強くなってしまったのですね。

それから義経。
こんなにとんでもない奴に描いたのは初めて。
「義経」の「清盛の薫陶を受けた」という設定は、義経のその後を考えると無理があった。
「草燃える」で国広富之が演じた義経も軍事の天才ながら政治感覚ゼロの人物として描かれていたけど卑怯ではなかった。
鎌倉殿の義経は、目的を遂げるための手段の選ばなさなど、この義経なら軍事的天才と軍事以外の部分の欠落が腑に落ちる。

ところで三浦透子演じる義経の正室に注目しています。
義経と静御前は吉野で別れるけれど、北の方は平泉まで連れて行き、衣川の館で共に死ぬ。
鎌倉の御家人の娘だから、腰越状の件あたりの時点なら鎌倉に戻ることも出来ただろうにそうしなかった。
北の方が奥州までついていった心境がどんなふうに描かれるのか。

「冠者殿」木曽義高を演じる市川染五郎も眉目秀麗なだけでなく佇まいが美しくて良かった。
お父さんの松本幸四郎はテレビだと表情の演技が勝ちすぎるのが気になるんだけど、市川染五郎は抑制が効いている演技で好きです。

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2022年5月 3日 (火)

ロシアの謎理論


https://news.yahoo.co.jp/articles/645f9c3bb16479bbde77a2ac34b9ee2ec14a00c8
ロシア外相「ヒトラーにユダヤ人の血が入っている」…イスラエルの猛反発必至

 ラブロフ氏は、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領について、「自身がユダヤ系なのでウクライナにナチズムは存在しないと言っているが、その説明は妥当ではない」と主張した。ロシアはゼレンスキー政権を一方的にナチス・ドイツになぞらえて非難し、ウクライナに軍事侵攻する大義名分とした。


ヒトラーにユダヤの血が入っているから、ユダヤ系のゼレンスキー大統領がナチスだという謎理論。
ヒトラーの血筋問題は諸説あるから置くとして、今この時期にイスラエルを刺激する意図がわからない。

ロシアはナチス呼ばわりすれば侵攻を正当化できると思っているみたいだけど、ナチスが非難されているのは、他国への侵略行為やホロコーストをしたから。
別に「ナチス」という集団が最初から非難の対象だったわけじゃなく、侵略もホロコーストもなかったら、ドイツ経済を一時的に立て直したけど行き詰った政権と記憶されていたと思う。
で、今のロシアはナチスと同じく侵略と虐殺行為をしているわけで、そのロシアがウクライナをナチス呼ばわりって意味不明すぎる。

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ファンの寛容さが仇になる例

こういうことがあると「なぜ本人に直接言わない」という人が出てくるけれど、本人だけでなく容認してきたスタッフとファンに苦言を呈すのは問題提起としていいと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/00f1e2dcbc2ac064c60065b463ac39f088cdfd72
超大物ミュージシャンの泥酔ライブに「裸の王様」とトライセラ和田唱が痛烈批判

https://news.yahoo.co.jp/articles/0c985db985cdb14f706e599a833021d1bc0cd045
トライセラ和田唱に〝裸の王様〟批判された奥田民生 20年来ファンの言い分

ライブ中のアーティストの飲酒の是非については、シチュエーションに依るし、内輪で、雰囲気の緩さを楽しみたいライブなら「飲みすぎない」という条件付きでアリだと思う。
ファンの集いとか。
ただ、ファンの集いに参加する人は相当にお金を落としているお客さんでもあるので、お金を出して敢えて緩いライブに参加する、というのは物好きと言えば物好き。
個人的には構成その他が緩めのライブは行ったことがあるけど、出演者が飲酒というのはまだ経験がないですが。
「飲んでたんじゃないか」という疑惑を感じたことはあったけど、演奏に支障はなかった。
飲酒擁護の中に「フレディもビールを置いてた」っていうのを見たけど、外国人と日本人はアルコールの分解酵素の量が違うし、欧州で飲むと気候のせいかビールやワイン程度なら意外と酔わないんですよ。(アメリカの気候は知らない)
今回は「泥酔状態だった」というので、状況がかなり違う。

ファンの姿勢として、好きなアーティストが毎回常に最高のパフォーマンスが出来るわけではなく、ある程度の寛容さも必要なんだけど、その寛容さの線引きもまた必要だと思う。
全肯定するのが良いファンだと思っている人と、そのアーティストが好きだからこそクオリティを求めたくて批判するファンの溝は広くて深い。

お酒が原因ではないけど、好きなバンドのライブに失望して、その後10年以上遠ざかった。
体調不良でほとんど声が出ていなかったのにライブを決行してしまったことに愕然として。
遠ざかっている間もテレビ放映等で時々見たけど、声の劣化は相当期間続いていた。
今は声量は戻ったけど、歌い方は戻っていないので、コラボは行くけど単独ライブには行ってない。
声が劣化すると歌い方も変わるんですよね。変なフェイクが増えるし。
「ライブは中止しない」ということに妙な矜持があって、ファンもそれに付き合ってしまって不調が長引いた感じ。
もっと早く危機感を覚えていたら、もっと早く回復したのにと思う。
ボーカリストは身体が資本なので声量等に支障が出る行為は厳に慎んでもらいたいと思うのです。

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