« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022年6月

2022年6月28日 (火)

鋼の錬金術師 完結編 最後の錬成

「復讐者スカー」がグラトニーのお腹の中で終わったので、この先をどうまとめるのだろうと思ったら、やはりというかかなり駆け足であった。
とはいえ俳優陣は軒並み良かったし、画面も迫力があったので面白かったです。
山田涼介と内野聖陽が一人二役かつ二人一役は見ごたえがあった。
内野聖陽はフラスコの中の小人の声も演じていて、ホビットのカンバーバッチ並みの大活躍。
寺田心のプライド(セリム)も雰囲気が出ていた。

キメラ関連とキンブリーは出て来なかったこと、マスタングが扉を開けるあたりも飛ばし気味だったのが残念でないと言えば嘘になるけど、長い物語を映像化する時の宿命みたいなものだしなと。
不満はありつつも、要点を抑えた物語構成で実写映画として楽しめたことに満足しています。

引き合いに出すのもなんだけど、「不朽の名作」が枕詞みたいになっている「風と共に去りぬ」も、実を言えばかなり駆け足感があったりする。
原作のスカーレットの親の世代のエピソードはバッサリ切られているし、ボニーの死からメラニーの死までは原作では数か月経過しているけど、映画では数日間の出来事になったりしていて、物足りなさがあったりするけど、ヴィヴィアン・リーの美しさと演技、衣装やセットを楽しむためのものだと思っている。

なお、日本人が外国人を演じることについては「のだめカンタービレ」と「テルマエ・ロマエ」で耐性出来ているし、欧米人キャストの「ジンギス・カン」を見たことだってある。
レツクス・ハリソンがシャム王を演じた「アンナとシャム王」(王様と私と同じ原作)もあったりして、欧米で制作したアジア舞台の映画も結構チャレンジャーですよ。

| | コメント (0)

2022年6月12日 (日)

ゴシップが先か知名度が先か

週刊誌の芸能関係のゴシップ記事を目にするたびに思うのが、書き手の芸能への無関心さリスペクトの無さ。
コンサートとか舞台とか観たことがないんだろうなって思う。もしかしたら映画も。
まあ、へたに関心があると仕事をしにくいかもしれないけど、主演舞台のチケットが常に完売の俳優を地味な中堅扱いとか、格差などないのに格差婚と決めつけたり、人気とか実力のバロメーターが悉くテレビの露出度。
こちらもゴシップネタに一切興味がないわけではなく、報道された有名人の私生活等にちょっと一言言いたくなることはあるけれど、あくまでもその人の芸とか創作物があってこそ。それを無視して私生活とか裏話に終始するのはモヤモヤする。

マスゴミ以外も「有名であること」に価値を見出して近づきたがる人はいるものだけど、某「ガーシー」ってその最たるものって感じ。
スポーツ選手も俳優も成績も出演作もクオリティも関係なく、「有名であるかどうか、自分が近づけるかどうか」にしか興味がないみたいで。
某テニス選手の妻を「アテンド」した話なんて、テニスファンからしたら顰蹙しかないけど、どれくらい多くの人の期待を潰したかなんてわかってないんだろうな。
(追記:アテンドだか斡旋だか知らないけど、せめて人前でまともに振る舞えるレベルの子にしろと思う。)
付き合いがあった有名人たちは自分たちの仕事の内容に興味がない人というのがむしろ気楽だったのかもしれないけど、プライベートが仕事の障害になるのは残念なこと。
付き合う相手はちゃんと選んで欲しいと思う。


| | コメント (0)

2022年6月 5日 (日)

鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー

山田涼介のエドとディーン・フジオカのマスタングのキャスティングは「有り」と思いつつ、不安要素もあって行かなかった前作。
今回は映画館の予告を見て、ちょっと良さそうと思って行ってきました。
シン・ウルトラマンを二回観た余波で、上映回の多い一週目に行くことが出来ず、レイトショーの設定がなくなっていたけど、レイトショー回が復活したので無事見ることが出来ました。

今回は原作にかなり忠実で、何より俳優陣の演技が良かったです。
声以外は誰だかわからないアームストロング少佐をはじめ、シン国組は全部良かったな。
特に黒島結菜のランファンがほんとに原作のイメージ通り。
ハボックとかブレダもかなり原作に寄せている。
ホムンクルスたちも、本来トンデモなキャラクターなのにリアリティがありました。
本郷奏多のエンヴィーなんて、あのビジュアルで違和感ないって凄いです。
内山信二のグラトニーも不気味だったし。
そうそう、キンブリー(山田裕貴)も突き抜けた感があった。

俳優陣は総じて良かったんですが、ちょっと残念だったのがウィンリー。
典型的な少年漫画のヒロインを実写で演じるというのはハードル高いものだし、ビジュアルはクリアしているのです。
でも、シリアスな場面の演技が微妙。
いや、ちゃんと演じているんだけど、彼女だけ浮いて見えるんですよね。他のドラマでも。
ホークアイの蓮佛美沙子はビジュアルのイメージに疑問があったけど、映画の中ではだんだんホークアイに見えてきた。

アメストリスの街並みとか錬成シーンも良かったけど、エドとホーエンハイムがトリシャのお墓からピナコの家まで歩く場面の道端の植生に日本感が強かったのがちょっと残念。
セイタカアワダチソウって外来種だけど、今や日本の風景の一つなんだななどと思ったりした。

なお、山田涼介の沖田総司と鈴木亮平の近藤勇は見たかったものの、「燃えよ剣」は原作への思い入れが非常に強い小説であり、土方とお雪のイメージが違うために見ていないです。

| | コメント (0)

シン・ウルトラマン

予想以上に面白かったので二回観てます。
脳内でウルトラマンの歌からセブン~帰ってきたウルトラマンがメドレーになってしまう程度で、オリジナルの深い情報や知識はなかったのだけれど。

「謎の飛翔体」として出現した銀色の巨人がウルトラマンと呼ばれるようになり、「人間を助けてくれる存在」として認知されるまでを見るのが初めてだったのでかなり新鮮でした。
追体験する感じ。

横たわる巨大化した長澤まさみにジグザグにロープが張られている様子がまんま小人の国のガリバーだったので、室長が「ガリバー・トラベルかスリーピングビューティ」に例えて田村に突っ込まれるところにクスっとしてしまった。
お約束と言えばお約束だけど、そういえば今の若者はガリバー旅行記を知っているのだろうか。

山本耕史のメフィラス星人と斎藤工のウルトラマンは、人間の姿をしながらタイプの違う外星人像が伝わってきてほんとに素晴らしい。
たまたま「ガキの使い」で斎藤工が「何分瞬きしないでいられるか」の回を見ていたけど、あの特技?がここで生かされるとは。

それから、音楽がとても良かった。
二回目鑑賞のエンドクレジットで「選曲 庵野秀明」を確認。

| | コメント (0)

2022年6月 2日 (木)

嘘は罪、嘘の罪

通常、他人を嘘つき呼ばわりする人にはちょっと警戒心を持っている。
事情の如何に拠らず嘘は叩いて良いと思っている人たち。
そういうタイプの人の言う「嘘」の中には、ちょっとした善意の嘘とか話を盛ったこととか「言いにくかったから言わなかった」とかが含まれたりする。言いにくいことを言わずに済ませただけで嘘つき呼ばわりされてはたまらない。
だからといって嘘をついてもいいというわけでは決してなく、悪意の嘘はもちろん許せないけど。

で、ジョニー・デップとアンバー・ハードの裁判のこと。
暴れてホテルの備品を壊して弁償した話は聞いたことがあってもDVの話はなかったので、よほどアンバー・ハードとは相性が悪いのかと思っていたら、相性が悪いのはその通りとしてハードへのDVは嘘だったことが明らかになりつつある。
痣かくしに使ったという化粧品が、その時点で販売されていなかったことからいろいろ解けてきた感じ。
ちょっと「杉の柩」とかペリー・メイスンみたいな展開です。
ついでにアンバー・ハードの演技力への疑問とか、大作映画出演の裏とかもポロポロと。
慰謝料をせしめたところで止めておけばよかったのに、何故嘘をついてまでジョニー・デップを貶めようとしたのか、アンバー・ハードみたいな人ってほんとに意味不明。
ジョニー・デップのグリンデルヴァルトが見られないのは返す返すも残念だし、ゴシップの影響で「MINAMATA」が地味な扱いになったことももったいなかったと思う。

追記:
ジョニー・デップ勝訴。実にめでたい。思わず祝杯をあげちゃってくらい。
ジョニー・デップに自業自得な部分はあったにせよ、それは慰謝料をふんだくられた時点で終わっていると思うのですよ。
泥沼離婚の過程で報道された浪費についてもアンバー・ハード以前にはなかったこと。
一般人レベルからしたら贅沢はしていただろうけど、破産云々の話はなかったから。
以前、借金地獄だった時のニコラス・ケイジの借金に救いの手を差し伸べたなんて報道もあったくらい。

この件で、ジョニー・デップのファンは当然デップの味方をするし、アンバー・ハードのファンもしくは支援者がそっち寄りになるのもわかるけど、「公平な立場で発言しようとする人たち」がよくわからない。
つまり、この件以前は2人に興味がなかったってことですよね?
それから、ネットにジョニー・デップを「ディップ」と書く人たちも謎。
外国人の名前は、読み方によってカタカナ表記が変わることはあるけれど、ジョニー・デップについてはデップ以外で報道されたことはないし、スペルも「Depp」なのだから「ィ」が入る要素はない。「ィ」を入れるのがカッコいい、みたいな感じなのだろうか。

そういえばジョニー・デップ勝訴のAFP=時事の記事が、アンバー・ハードが「悲観に暮れている」と書いていたけど、暮れるのは悲嘆。
意味や成り立ちを考えず、うろ覚え(うる覚えっていう人いますね。「うる」ってなんだ?)で言葉を使ってしまう人というのもよくいるけど、記者やライターには向いてない。

| | コメント (0)

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »