基礎学力と読書の習慣
某不登校YouTuberの親子のこと。
連日ネットニュースで取り上げられるので、つい思う所が出来てしまうけどYouTubeは見たことがない。
この親子のネットニュースのコメント欄で「友だちとか仲間とか、勉強以外のことも学べるから学校へ行くべき」と諭すのを見るけど、そもそもの問題は基礎学力修得を放棄していて「勉強を学んでいない」ことなので「勉強以外も」はピント外れの感が否めない。
かといって将来のために学歴の必要性を説くのもちょっと違う。
低学歴より高学歴のほうが選択肢が多いし、出来れば遠回りをしないほうが楽。
だから、自分の身近な人には遠回りは極力勧めないけれど、遠回りをしたとしても、将来が完全に閉ざされるわけではない。
ただし、基礎学力があれば、の話。
基礎学力なしには後で学習することも難しいし、基礎学力をつけることができるタイムリミットは存在する。
この子の場合、小学校から不登校だというし、親の経歴や言動からしてホームスクーリングが出来ていないと認識されているわけで、タイムリミットは刻々と近づいている。
当の父親は、息子が学校へ行かないことを正当化するために「学校では学べないことを学んでいる」と言っているけど、学力の補填にはなってないので議論が全然噛み合っていない。
ホームスクーリングといっても、父親が勉強を教えられないなら家庭教師を頼むなりなんなり方法はあると思うけど、お金も手間もかかるし、それよりは学校へ行くほうがコスパがいいと思うのですけどね。
「勉強以外の学校で学べるいろいろ」は、「勉強はするけどコミュ障」みたいなタイプの子に対してそれを言うのならわかるけど、この親子に対しては無意味。
親子は反対意見を軒並みアンチで括ってしまうようだけど、この子の生意気な言動に煽られて反応している一部の人はともかく、大方の人はわりと真面目にこの子の将来を心配していると思う。
アガサ・クリスティは英国の裕福な家庭のお嬢様で、一風変わった母親の方針により正規教育を受けなかったが、父の書斎の書籍を読んで教養を深めた。
松本清張は貧しくて小学校卒だけれど読書習慣がつく環境だった。
学校に行かなくても・行けなくても、読書の習慣があれば学ぶことができるけど、身についていないとかなり厳しい。
学校って、読書する環境ではない子にも基礎学力を身に着けさせる場なのだが。
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