カテゴリー「時事ネタ」の88件の記事

2019年5月21日 (火)

炎上

佐藤浩市の炎上?から飛び火して幻冬舎の社長の炎上を知る。

佐藤浩市の発言で一番モヤモヤしたのは世代を持ち出したこと。
「いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残っているんですね」っていうくだり。
「僕らの世代」って、1960年生まれの58歳は70年安保の時点で10歳ですが。
もっと上の世代の、リアルに反抗したりしていた役者が政治家の役を演じているのに「今時なに言ってんの?」という感は否めない。
それと、「お腹の弱い首相」という設定は、やはりデリカシーがなかったかなと。
結びつけて考える人が多いであろうことは想像できることだし、他のキャストが宣伝に駆け回っている時に言わなくてもよかったのに。

で、この件から芋づる式で知った幻冬舎の炎上。
場外乱闘というか、こっちのほうが本戦というか。
世の中に売上至上主義の人が意外といることがわかりました。
本そのものの価値を売れたかどうかで決めることを隠す必要性すら感じていないであろう人たちが。

ところで幻冬舎炎上の根っこである日本国紀ですが、「ものがたり日本通史」みたいなタイトルだったらここまで批判されなかったろうに。
コピペは論外として。
でも、アマゾンのレビューで絶賛している人はタイトル込みでいいと思っていて、またそういう層を狙ったネーミングなのがなんとも。

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2019年5月 6日 (月)

アベノセイダース

反アベの人たちが首相及び政権を批判するポイントが、相変わらず「え、そこ?」というものばかり。
「お前が言うな」だったり、まったくの見当違いだったり、政治家全体の問題だったり。
たまに妥当な指摘であっても、チクリとするくらいで後の駆け引きにでも使えばいいものを執拗に追及して時間を浪費したりとか。
(「駆け引きなんてとんでもない!!」ってことなら政治以前に交渉事に向いてない。)
そうすると、多少「なんだかな~」と思っていても、擁護したくなってしまうという。
わざとか?

以前から、昔からの「いわゆる日本の政治家的な言動」を著しく嫌悪する人たちというのが一定数いて、その象徴として安倍総理を叩いている感じがしなくもない。
反感だけは根強いけれど、社会のあるべき・もしくはこうあってほしい形があって反対しているわけでもない。
現政権への不平不満を言うだけなら罪はないけど、「民主党政権のほうがまし」みたいなことを言っているのを見ると背筋がゾッとします。

旧民主とマスメディアは、そろそろまともに反省してみたらどうでしょう。
反省のやり方を知らないのかもしれないけど。
一部メディアの記事は、最早「オオカミが来たぞ」状態です。

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統一地方選挙の選挙運動期間中、駅前でうっかりチラシを受け取ったら候補者が手を差し出して駆け寄ってきたので、そそくさと逃げてしまった。
選挙運動=握手って、いつから出来た慣習なんだろう。
握手したら好感度が上がったりする人が多いから握手の慣習が出来たのだろうか。
反アベ・反自民の人たちも、旧態然とした選挙手法については疑問はないようです。
候補者がどこの誰であれ、知らない人と握手をする趣味はないんだけど。

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2019年4月21日 (日)

ノートルダム・ド・パリ

このところパリに行っていませんが、いつも気にかかっている街。
だってパリは移動祝祭日だから。
ノートルダム大聖堂は各地にあるけど、「シャルトルの」だったり「ランスの」だったりして、ただ「ノートルダム」といえばパリのノートルダム大聖堂のこと。
ヨーロッパの宗教施設は短パン肩出しNGで、ショールや巻きスカートを身に着けないと入場できないところもあったりするけど、ノートルダム大聖堂はそのあたりはとてもカジュアルで、キャミソールにショートパンツの観客が自由に歩き回っている。
でも、それでいて厳かな雰囲気もあるという不思議な空間。
(少なくとも)私が生きている間にノートルダムに何か起こるなんて思ってもみなかった。

まだカメラの性能も高くなく、撮り方も下手くそ(斜めになっている!)だけど、初めてのパリ行きの時に撮った懐かしい写真。
 Notredamedeparis

カテドラルの周辺に集まって聖歌を歌う人たちの動画を見たけど、みんな自然にハモッていてすごい。
子どもの頃から教会で歌っているから自然に和音がとれるんだなと。

ノートルダム再建のための寄付額に抗議している人たちに対して複雑な思い。
他人の寄付にまで文句を言うのか。
「国内の貧困に目を向けろ」って、それとこれとは別じゃないですか。
フランスの名所旧跡には「フランス革命で破壊されたが復元した」という場所が多い。
今ならばこういう類の人たちだったんだろうな、破壊したのは。

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2019年3月14日 (木)

誰のための制裁か

ピエール瀧逮捕の一報を知って、最初に脳裏に浮かんだのは見られなくなるかもれない作品の一覧。薬物の影響を心配するのでなく。
自主規制の弊害きわまれりという感じ。
抑止力を理由にドラマの放送中止や映画の公開中止を支持する人もいるけど、薬物に手を出す人が「賠償金が発生するから」と思いとどまるものだろうか。
結局、本人よりも関係者やファンの受ける損害のほうが大きくて、誰が制裁を受けているのかわからなくなっている。
一視聴者としては、なんで一人のために見たいドラマや映画を見られなくなるわけ?と思うし。
抑止力や懲罰なら、別の方法を考えるべきだと思う。
一定期間社会奉仕とか、ギャラの一部を寄付することを義務づける、など。

とりあえず「いだてん」の撮影分は予定通り放送して欲しいです。
前例を気にするのなら黄金の日日の時も出演者が大麻で逮捕されているので同じ対応でいいと思う。

追記:
自主規制の必要性を強硬に主張する人の意見を見ていると、事件によって影響を受けた関係者への配慮が根こそぎ抜けている。
連帯責任を負わせることを「仕方がない」で済まそうとすることが腹立たしい。
また、そういう人に限って映画・ドラマ・音楽への思い入れも薄いしね。

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2019年3月 3日 (日)

パフォーマンスの場に非ず

ここ数日、東京新聞の望月記者を擁護する記事が連発。
必死さに、腹立ちを通り越して気持ち悪さすら感じる。
なんなのだ、この連帯意識。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190303-00187046-hbolz-soci
菅長官、「政府に都合が悪い意見」を言う東京新聞望月記者だけを無視、妨害。質疑可視化で明らかに
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190302-00010007-huffpost-soci.view-000
東京新聞の望月衣塑子記者を助けたい。中2の女子生徒がたった1人で署名活動に取り組んだ理由とは

望月記者擁護する人たちは官房長官会見の質疑応答を「記者との自由な討論がなされるべき場」と位置付けて論理を展開しているけど、ミスリードもいいところ。

そもそも官房長官の会見は政府の決定事項を伝える場。
質疑応答は発表した内容について齟齬をきたさないためのもの。
一記者が自分の意見を開陳する場ではない。
件の記者はそのことをわかっていないのかと思っていたけど、確信犯だったようで。

https://www.huffingtonpost.jp/2017/09/26/isoko-mochiduki_a_23222953/?utm_hp_ref=yahoo
菅官房長官への追及は「政治や権力に一石投じたい」から 東京新聞・望月衣塑子記者に聞く

最初からパフォーマンス目的だったのか。

一石を投じるといっても、ちょっと考えればわかることだけど、もしも記者全員が望月記者のようなことを始めたら収集がつかなくなる。
会見は官房長官の仕事の一つであって、報道専門官ではなく、一記者のパフォーマンスにいちいちつきあっていたら時間がいくらあっても足りない。
(報道対応の専門官だったとしても、つきあう必要性は感じないけど。)
仮に「官房長官と自由に討論する場」があったとして、そこへの参加資格は誰が決めるのか。
新聞記者を国民の代弁者と認定したことはないし、別に記者に届けてもらわずとも、今なら内閣府HPの御意見・御感想フォームで送ればいいわけです。
そもそも、国民の代表者同士が話し合うために国会がある。
したがって、あらゆる点で望月記者の行為に正当性は、ない。

擁護している人たちは、自分たちが白を黒と言いくるめる行為をしていることを自覚しているんだろうか?

コンサート会場で目立とうとする迷惑な観客がいるけど、この記者をたとえるならばそれかな。

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2019年2月26日 (火)

ラッシュに乗るより時差通勤

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190226-00000026-it_nlab-soci
通勤ラッシュに“子育て応援車両”を―― 「満員電車にベビーカーで乗車」問題で市民団体が小池都知事に要望

少なくとも私が利用している路線・区間・時間帯の女性専用車両は既に身動き取れないくらいに満員です。
混雑状況なら一般車両のほうが空いていることがあるくらい。
従って、女性専用車両であっても通勤ラッシュの時間帯にベビーカーの乗車は無理です。
抱っこひもでも、各駅停車に乗るか時間をずらさないと赤ちゃんが危険。
避けようという意思があっても物理的に不可能だから。

知事に要望を出すなら託児所の充実と時差通勤を広めること、でしょ。

市民団体の人たちは浮世離れした感覚の人が多いけど、一体どういう日常生活を送っているのだろうか。
・・・と思っていたら、記事中の人、一般の人は下車してベビーカーのためにスペースを空けろとツイートしていたそうで。
想像力以前の問題だな、こりゃ。

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2019年2月24日 (日)

いい加減にしろよ、NHK

NHKが性懲りもなく新しい韓流ドラマを放送するとのこと。
https://tv.yahoo.co.jp/program/55492829/

この時期に何をやっているんですかね。
放送中のドラマを打ち切ってもいいくらいなのに新ドラマを放送はあり得ない。
しかも主演俳優を呼んで宣伝まで。
断交などの過激な対応は望まないけど、文化交流云々なら民放にまかせておけばいい。
受信料を「強制徴収」しているテレビ局であることを自覚してほしい。

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2019年2月17日 (日)

知る権利、誰の?

ボヘミアン・ラプソディを観た人で、記者会見の場面のマスコミに怒りを覚えた人は少なくないんじゃないかと思う。
他のメンバーは無視して、音楽と関係ないことをフレディに執拗に質問するあの場面。
日本のメディアの皆さんは、あの場面にどんな感想を持ったんだろうか?
「自分はやってない」とかかな。

で、官房長官の記者会見で物議を醸している東京新聞の望月記者がやっていることも同様に見えるんですけどね、私には。

好感を抱いている人が言論の自由云々で望月記者を擁護したりするのを見ると失望してしまう。
メディアの人同士の連帯感には辟易するし、「報道の自由」に対する権利意識の強さが過剰で、一般(マスメディア以外)の感覚との乖離を感じる。
言論の自由はもちろん大事だけれど、何をやってもいいわけじゃなく、事によりけり、というのが非マスメディアの感覚だと思う。
それに不勉強な状態で質問をすることは国民の知る権利を守ることにはならない。
そもそも、この人が誰の権利を守っているのかと。自分の権利だけでしょ。

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2019年2月11日 (月)

加虐と殺意は同等の罪で

死亡事件が起こった時に、加害者の殺意の有無が問題になり、殺意がなかったと認められると罪が軽くなったりする。
でも、被害者を長く苦しめようという意図があった場合、殺意がなくても殺意有と同等に扱うべきだと思う。
小4の娘を虐待死させた父親に対して思ったことです。

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2019年2月 3日 (日)

虐待親には性悪説で

またしても親による子どもの虐待死のニュース。

アフターケアを怠った児童相談所もアンケートを父親に渡した教育委員会も、想像力が欠如しているとしかいいようがない。

検索してみると、児童相談所の職員に専門知識が必須で、基準はしっかり設けている。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/joho/soshiki/syoushi/syoushi/jiso-syokuinbosyu/jisobosyu.html

いくら知識があっても人を見る目がないことには始まらないけど、そういう個人の資質に左右されないような体制づくりをして欲しい。
で、親による虐待の場合、「子どもを親元に戻さない」ことを原則にするべきだと思う。
戻すことを前提にしているから悲劇を繰り返す。
面倒なのか性善説なのか知らないけど、虐待するような親がちょっとやそっとで改心するわけないじゃないですか。
易々と親元に戻すなよと思う。
子どもの意思確認云々も責任逃れに思える。
一時的に怖さから逃れたら子どもの気持ちは変わるかもしれないけど、大人が、社会が客観的に判断しないと。

カッとなって暴力をふるったとかでなく(これもダメだけど)、日常的にネチネチと虐待を繰り返すのは一種の異常心理でしょう。
そういう親の反省なんて、まず疑ってかからないと。
原則として親元には戻さない。
戻すとしても、治療やカウンセリングを受けさせて、何重にも厳重なチェックをした上で。

虐待をする親たちが「しつけのつもりだった」と言い訳したという報道をみるたびに腸が煮えくり返る。
彼らにとって「しつけ」という言葉が自分たちの行為を正当化する魔法の言葉になっているみたいだけど、どこでそうなったのか。
家庭科か保健体育の授業で「しつけ」の意味くらいは教えているのに。
虐待する親の多くが虐待されてきたというのは情状酌量にはあたらず、虐待が発覚した段階で刑事罰が妥当だと思う。
そうでなければ連鎖を断ち切るべく治療もしくは再教育を受けさせるべき。
「私のしたことはしつけではなく虐待です」と百回くらい書かせたり、声に出して読ませることを課してはどうだろうか。
おそらくイヤがるだろうけど、自分の行為と向き合わせる。
学校で教わったことが素通りしている人たちに今更心からの理解を望むのは無駄かもしれないけど、「自分の行為を社会は間違ったことだと考えている」ということくらいは認識させられるのではないか。
認識したから解決するわけじゃないけど、初めの一歩ということで。

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