風と共に去りぬと百年の誤読
「百年の誤読」の「風と共に去りぬ」の項を読み返してみた。
きっかけは選挙前の豊崎由美の残念なツイートですが。
キャラクター設定がステロタイプとかはそういう感想もあるんだと思ったけど、「映画で十分、原作は読む価値なし」はそうかなと思ったし、今も思う。
映画は長い物語の中から主要なエピソードを不足なく拾って尺に納めているのだけど、映画には出てこない中にも好きな場面や描写はあったので。
かいつまむとこんな感じ。
・スカーレットの母親エレンの結婚前の話
・母エレンが定めた適材適所で合理的なタラの黒人登用システム
・明らかに男尊女卑だけど女性保護は徹底している南部白人社会の暗黙の了解とそれを強かに商売に利用するスカーレット
・スエレンと結婚し、タラを再建するウィル・ベンティンの存在
・奴隷制廃止のために南部と戦った北部の人間たちが黒人たちに恐怖心を抱いている矛盾
それと、スカーレットをステロタイプと断じているけど、スカーレット・オハラ以前にああいうキャラのヒロインっていたんだっけ?、と。
エゴイストでバイタリティのある人は古来からいたけれど、それを創作のヒロインにしたのは過去にあったかなと。
風と共に去りぬがあったからステロタイプになったと思う。
で、豊崎由美は原作が優れた戦時小説の一つであることは無視しているけれど、関心が専ら登場人物の性格とかストーリーにあり、それらへの切り口は鋭いけれど、背景となる南北戦争とか、時代背景によって醸成される人間像にはあまり興味がないんだなと思った。
(戦争ではないけれど)未曽有の大災害で被害を受けた人たちの生活に想像が及ぶならば、たとえ売り言葉に買い言葉であっても「東日本大震災の時の政権が民主党政権で良かった」という言葉は出てこないと思うのです。
ところで、原作のこの南北戦争前の平穏な日々について語るこのモノローグは好きなフレーズ。
「これらすべての上にあるのは、生活の安心感、あすもまたきょうとおなじ幸福な日がくるだけだと考える安心感だった。」
インパクトがあるのはI'll never be hungry againであり、Tomorrow is another dayだけれど。


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