カテゴリー「つぶやき」の217件の記事

2022年12月 4日 (日)

赤毛のアンと秋山兄弟

初等教育の重要性は認識しているので、小中学校の教員は大学の教育学部出身という現在の日本のシステムには納得している。
それは前提として、L.M.モンゴメリーのアン・ブックスで描かれる教育システムにも昔から魅力を感じている。
小学校→クイーン学院で教員免許を取得→小学校で教鞭を取り学資を稼ぐ→大学進学、というシステム。
「坂の上の雲」にも秋山好古が教育を受けたいと切望し「学費のかからない学校」として師範学校に行き教師になる経緯が描かれているので、明治・大正期の日本も似たようなシステムだったみたいだけど。
秋山好古はその後「無料で勉強ができる」という理由で陸軍士官学校に行き軍人になるくわけだけど、陸軍退役後は校長先生となり、生涯を通じて学校教育に重きを置いていた人でもあった。

もうちょっと融通性があってもいいけど、今の義務教育の仕組みは先人たちの試行錯誤があってのことなんだなと思う。


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2022年11月20日 (日)

基礎学力と読書の習慣

某不登校YouTuberの親子のこと。
連日ネットニュースで取り上げられるので、つい思う所が出来てしまうけどYouTubeは見たことがない。

この親子のネットニュースのコメント欄で「友だちとか仲間とか、勉強以外のことも学べるから学校へ行くべき」と諭すのを見るけど、そもそもの問題は基礎学力修得を放棄していて「勉強を学んでいない」ことなので「勉強以外も」はピント外れの感が否めない。
かといって将来のために学歴の必要性を説くのもちょっと違う。
低学歴より高学歴のほうが選択肢が多いし、出来れば遠回りをしないほうが楽。
だから、自分の身近な人には遠回りは極力勧めないけれど、遠回りをしたとしても、将来が完全に閉ざされるわけではない。
ただし、基礎学力があれば、の話。
基礎学力なしには後で学習することも難しいし、基礎学力をつけることができるタイムリミットは存在する。

この子の場合、小学校から不登校だというし、親の経歴や言動からしてホームスクーリングが出来ていないと認識されているわけで、タイムリミットは刻々と近づいている。
当の父親は、息子が学校へ行かないことを正当化するために「学校では学べないことを学んでいる」と言っているけど、学力の補填にはなってないので議論が全然噛み合っていない。
ホームスクーリングといっても、父親が勉強を教えられないなら家庭教師を頼むなりなんなり方法はあると思うけど、お金も手間もかかるし、それよりは学校へ行くほうがコスパがいいと思うのですけどね。
「勉強以外の学校で学べるいろいろ」は、「勉強はするけどコミュ障」みたいなタイプの子に対してそれを言うのならわかるけど、この親子に対しては無意味。

親子は反対意見を軒並みアンチで括ってしまうようだけど、この子の生意気な言動に煽られて反応している一部の人はともかく、大方の人はわりと真面目にこの子の将来を心配していると思う。

アガサ・クリスティは英国の裕福な家庭のお嬢様で、一風変わった母親の方針により正規教育を受けなかったが、父の書斎の書籍を読んで教養を深めた。
松本清張は貧しくて小学校卒だけれど読書習慣がつく環境だった。
学校に行かなくても・行けなくても、読書の習慣があれば学ぶことができるけど、身についていないとかなり厳しい。
学校って、読書する環境ではない子にも基礎学力を身に着けさせる場なのだが。

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2022年8月 9日 (火)

自分の正義に酔う人が嫌い

安倍元首相が亡くなって葬儀も終わっていない段階でアベガーその他が功罪の罪も問うべきと言っていたけど、今は統一教会一辺倒の報道で「功」が忘れられている。
ビデオメッセージ等のカルトとの付き合いには被害者への配慮が欠けていたけれど、 他方で拉致被害者のために尽力したのも事実。
拉致被害者は防ぎようがない状況下で拉致され、国が動かなければ日本に戻ることができなかった。

この際、カルト絡みの膿が全部出ればいいと思うけど、アベガーの思うつぼになるのも片腹痛くて。
安倍元首相支持というよりも私はアベガーが嫌いなのだとわかった。
他人の痛みがわからない人たち。
正しければ何をやってもいいと思っている。(正しくもないけど)
亡くなって初七日も過ぎないうちに不謹慎な川柳を読んだり、鎮魂の場でデモをしたり、「死んで当然」と命を軽視する発言をする。
その無神経さに虫酸が走る。

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2022年7月12日 (火)

リスペクト

選挙特番をザッピングしていた時だったか、安倍元首相のアメリカ議会の演説の一部の映像を見たけど、「You've got a friend」を引用していたのが印象的だった。友情がテーマの名曲なら「明日に架ける橋」もあるけれど、演説のシチュエーションにはこの曲がぴったりだったなと。
そういうセンスも込みでリスペクトされたのだろうと思ったりした。

ところでアベガーの人たち、安倍元首相が亡くなったその日のうちから「美化、英雄視を危惧」とか「批判を止めるべきではない」とか言っていて、せめて数日待てないものか。何をそんなに焦っているのか。
お悔やみツイートに「反論」する「学者」がいてトホホである。
美化を危惧するっていうことは、そうなり得る材料があることは認識してはいるのですね、きっと。
彼らが主張しているような「悪行三昧で嘘つきの独裁者」だったら美化の心配などしなくていいはずで、そうじゃないことをわかっているから焦っているのか、それとも、自分たちが根拠のなく悪評をまき散らすから、根拠なく賞賛すると思っているのか。

安倍氏は世間的な基準でいえば「好人物」と思われるタイプだったのに、一部左翼文化人たちが批判の域を超えた表現で執拗に口汚く罵っていたのがずっと不思議でした。どこがそんなに嫌いなの?、と。
育ちの良さへの嫉妬かとも思ったけど、それにしても酷すぎて。
今になって「アベガー」の活動家たちの言動が私が知っていたよりはるかに酷かったことを知りました。
人形をブルドーザーで轢くとか、写真を太鼓の皮に貼って叩くとか初めて見たけど、ほんとに何してもいいと思っていたんだな。(というか、よくこんなこと思いつくな)
(理由はわからないけど)まず憎悪の念が先にあって、モリカケサクラは攻撃の手段でしかなかったんじゃないかとさえ思う。

https://reiwa-kawaraban.com/society/20220709-03/
安倍元首相殺害の原因「憎悪を煽った人々」


近年発生しているテロの多くは恨んでいる対象を直接狙わずに無関係な人に向ける傾向があるけど、その矛先が一国の元首相に向けられるに至ったのは、マスメディアの報道やネット、活動家たちの影響が少なからずあったと思う。
危害を加えてもいい存在として潜在意識に刷り込んでしまった、というのか。

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2022年6月12日 (日)

ゴシップが先か知名度が先か

週刊誌の芸能関係のゴシップ記事を目にするたびに思うのが、書き手の芸能への無関心さリスペクトの無さ。
コンサートとか舞台とか観たことがないんだろうなって思う。もしかしたら映画も。
まあ、へたに関心があると仕事をしにくいかもしれないけど、主演舞台のチケットが常に完売の俳優を地味な中堅扱いとか、格差などないのに格差婚と決めつけたり、人気とか実力のバロメーターが悉くテレビの露出度。
こちらもゴシップネタに一切興味がないわけではなく、報道された有名人の私生活等にちょっと一言言いたくなることはあるけれど、あくまでもその人の芸とか創作物があってこそ。それを無視して私生活とか裏話に終始するのはモヤモヤする。

マスゴミ以外も「有名であること」に価値を見出して近づきたがる人はいるものだけど、某「ガーシー」ってその最たるものって感じ。
スポーツ選手も俳優も成績も出演作もクオリティも関係なく、「有名であるかどうか、自分が近づけるかどうか」にしか興味がないみたいで。
某テニス選手の妻を「アテンド」した話なんて、テニスファンからしたら顰蹙しかないけど、どれくらい多くの人の期待を潰したかなんてわかってないんだろうな。
(追記:アテンドだか斡旋だか知らないけど、せめて人前でまともに振る舞えるレベルの子にしろと思う。)
付き合いがあった有名人たちは自分たちの仕事の内容に興味がない人というのがむしろ気楽だったのかもしれないけど、プライベートが仕事の障害になるのは残念なこと。
付き合う相手はちゃんと選んで欲しいと思う。


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2022年6月 2日 (木)

嘘は罪、嘘の罪

通常、他人を嘘つき呼ばわりする人にはちょっと警戒心を持っている。
事情の如何に拠らず嘘は叩いて良いと思っている人たち。
そういうタイプの人の言う「嘘」の中には、ちょっとした善意の嘘とか話を盛ったこととか「言いにくかったから言わなかった」とかが含まれたりする。言いにくいことを言わずに済ませただけで嘘つき呼ばわりされてはたまらない。
だからといって嘘をついてもいいというわけでは決してなく、悪意の嘘はもちろん許せないけど。

で、ジョニー・デップとアンバー・ハードの裁判のこと。
暴れてホテルの備品を壊して弁償した話は聞いたことがあってもDVの話はなかったので、よほどアンバー・ハードとは相性が悪いのかと思っていたら、相性が悪いのはその通りとしてハードへのDVは嘘だったことが明らかになりつつある。
痣かくしに使ったという化粧品が、その時点で販売されていなかったことからいろいろ解けてきた感じ。
ちょっと「杉の柩」とかペリー・メイスンみたいな展開です。
ついでにアンバー・ハードの演技力への疑問とか、大作映画出演の裏とかもポロポロと。
慰謝料をせしめたところで止めておけばよかったのに、何故嘘をついてまでジョニー・デップを貶めようとしたのか、アンバー・ハードみたいな人ってほんとに意味不明。
ジョニー・デップのグリンデルヴァルトが見られないのは返す返すも残念だし、ゴシップの影響で「MINAMATA」が地味な扱いになったことももったいなかったと思う。

追記:
ジョニー・デップ勝訴。実にめでたい。思わず祝杯をあげちゃってくらい。
ジョニー・デップに自業自得な部分はあったにせよ、それは慰謝料をふんだくられた時点で終わっていると思うのですよ。
泥沼離婚の過程で報道された浪費についてもアンバー・ハード以前にはなかったこと。
一般人レベルからしたら贅沢はしていただろうけど、破産云々の話はなかったから。
以前、借金地獄だった時のニコラス・ケイジの借金に救いの手を差し伸べたなんて報道もあったくらい。

この件で、ジョニー・デップのファンは当然デップの味方をするし、アンバー・ハードのファンもしくは支援者がそっち寄りになるのもわかるけど、「公平な立場で発言しようとする人たち」がよくわからない。
つまり、この件以前は2人に興味がなかったってことですよね?
それから、ネットにジョニー・デップを「ディップ」と書く人たちも謎。
外国人の名前は、読み方によってカタカナ表記が変わることはあるけれど、ジョニー・デップについてはデップ以外で報道されたことはないし、スペルも「Depp」なのだから「ィ」が入る要素はない。「ィ」を入れるのがカッコいい、みたいな感じなのだろうか。

そういえばジョニー・デップ勝訴のAFP=時事の記事が、アンバー・ハードが「悲観に暮れている」と書いていたけど、暮れるのは悲嘆。
意味や成り立ちを考えず、うろ覚え(うる覚えっていう人いますね。「うる」ってなんだ?)で言葉を使ってしまう人というのもよくいるけど、記者やライターには向いてない。

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2022年5月14日 (土)

金曜ロードショーで「ローマの休日」

金曜ロードショーで「ローマの休日」放送。
ゴールデンタイムの地上波でいわゆる名画を放送するのは久しぶり。
私自身は洋画は字幕で見るし、映画ファンは映画館に行ったり有料チャンネルを利用してでも見る。
でも、それだとライトな人たちに情報が伝わらない。

フジテレビの月曜9時の「元カレの遺言状」、綾瀬はるか目当てで見ています。
ドラマオリジナルなのか原作にあるのかは知らないけど、モチーフになっている名作ミステリーの選択が渋い。
特にクリスティ。
「ねじれた家」とか「忘られぬ死」とか。
こういう引用とか本歌取り的な手法の作品が好きだけど、古典作品をある程度共有が出来ていないと始まらない。

なので、話は戻りますが、映画の裾野を広げるためと話題の共有のために地上波の映画番組は必要だと思うのです。
来週は「ショーシャンクの空に」というし、古い作品の放送機会が増えるのは大歓迎。


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雉も鳴かずば撃たれまい

某フルート奏者出演回の「題名のない音楽会」後、批判が出ることも予想通りだったけど、擁護と持ち上げの記事が出るのもお約束。
「七光りじゃない」とか「専門家も認めている」とか。
この一家関連の報道の過去の経緯からして出るだろうなと予想はしていても、なぜ批判の声が収束するまで我慢して待てないのだろうかと思ってしまう。
感じは悪くなかったし、分不相応な番組に一回出るだけなら、とりたてて目くじら立てることでもなく、擁護記事など出さなければフェードアウトしていくこと。
でも、妙な持ち上げ記事などを見てしまったらムラムラと「どこが実力不足なのか」とか言いたくなってしまうじゃないですか。

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2022年2月23日 (水)

ドーピングとコーチと選手の年齢

ワリエワのドーピング陽性とコーチの指導方法については分けて考えるべきという言う人がいて、基本的に「坊主は坊主、袈裟は袈裟」と思っているけど、今回の件はそうだろうか。
大人もしくはもう少し年嵩の選手のことならコーチといってもアドバイスだけとかもあり得るけど、トゥトベリーゼコーチは徹底した管理をすることで知られる人で門下生はほとんどが育成途中の18歳以下の子どもたち。
つかこうへいのエッセイで、演出家の条件として「女優の生理日がわかること」を挙げていた。
演出家でもそうなのに、管理が厳しいと言われるコーチが育成中の選手の薬物使用(による変化)に気が付かないなんてことがあるんだろうか。
ロシアがROCとして五輪に出場するに至った経緯からしてもコーチの関与が疑わしいし、関与がないとしても監督不行き届きにはなる。
だから、ドーピングとコーチを切り離しては考えられない。

トゥトベリーゼコーチの門下生の選手生命が短命であることについて「金メダルを獲得して一生安泰になるならいいじゃん」という意見があって、ちょっと薄ら寒い。
早すぎる引退自体の勿体なさもさることながら、選手生命の短さが故障によるものだとすると痛みを抱えて生きていくことになるわけです。
お金があったとしても、それって幸せなのか。
それよりも、いっそ早期リタイアなら救われるけど、芽が出ることもなく頑張るだけ頑張って、故障を抱えて消えていった選手も少なくないと思う。
そういうアレコレへの想像力の欠如が怖いのです。
コーチとしての手腕については18歳以上になっても現役を続ける選手が出てくるとか、健康体型の選手に高難度ジャンプを跳ばせるまでは評価保留としておきたい。

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2022年1月16日 (日)

高齢者の定義

昨年末のNHK紅白歌合戦について、演歌や歌謡曲が減ったことについてメディアは「高齢者を見限り」と報道したけど、この場合の高齢者って何歳くらいを想定しているのかという疑問がふと浮かんだ。
今や70代がビートルズ世代なわけだけど、70代で演歌や歌謡曲を聴かない人はざらにいる。そういう70代は高齢者としてカウントしているのかいないのか。
演歌と歌謡曲を聴く層は、単に演歌と歌謡曲ファンであって必ずしも高齢者層ではないのではないか。

で、テレビで音楽を聴こうとするのは演歌と歌謡曲のファンだと思うので、そういう意味では紅白は視聴者軽視ではあるかな。

で、何が一番言いたいかというとマスメディアの定義づけはいつも変よね、という話です。

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