カテゴリー「つぶやき」の182件の記事

2019年5月23日 (木)

贔屓の引き倒し

便所の落書きを見ていちいち心を乱すのもなんだけど。。。
再結成ライブを見てファンが盛り上がるのはいい。
良いライブでしたからね、実際。
でも、ずっとソロ活動を支えてきたサポートメンバーを貶めるのはいただけない。
永年演奏で食べてきた人たちに対するリスペクトがないのはダメでしょ。
それじゃ贔屓の引き倒し。
好きなバンドの評価を上げたいと思うのなら逆効果だし。

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2019年5月 5日 (日)

カニでお腹いっぱい

「やっぱり猫が好き」に「猿の手」というエピソードがあります。
恩田三姉妹が一つだけ願いが叶う「猿の手」を見つける話。
その中で三女のきみえが「カニでお腹いっぱいになりたい」と願ったらカニを食べてもいないのにお腹いっぱいになってしまい、「しまった、カニをお腹いっぱい食べたいと願うんだった」と後悔する。
以来、過程を無視した即物的な願望のかなえ方を見るとこの話を思い出します。

最近は工藤静香・Koki親子。少し前だと浅田姉妹だったけど。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00010000-elleonline-ent

「パリコレでランウェイを歩きたい」という願望って、「スーパーモデルのように服を着こなしてカッコよくウォーキングし、それを賞賛される」ことも含まれると思っていた。
そのために体を鍛えたり、自分の見せ方を研究するのだと。
でも、この親子は違うらしい。
「パリコレのランウェイ」が叶えば他のもの(他人の評価とか)は要らないのかもしれないけど、せめて立ち方と歩き方くらいレッスンして出てくれば、本人は褒められないまでも同情くらいは得られたかもしれないのに。

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2019年2月26日 (火)

ニュースでSNSを扱うことにルールを

SNSで発信されたことを既存メディアがニュースとして取り上げることについて、そろそろルール化が必要なのではないだろうか。
というか、引用・転載のルールは既にあって、それをメディアが守っていないのが問題なんだけど。


インスタ・FaceBook・ブログからの引用・転載は許可をとる。
SNSの性質上、不特定多数の目に触れることは覚悟の上とはいえ、不特定多数といっても元々何らかの興味を持っているフォロワー及び自主的に検索して見に来た人たちと、マスメディアの記事を見てアクセスした人では性質が違う。


ツイッターについては、その特質からして許可制にしろとは思わないけど、掲載する前に事実確認はするべきだし、ツイッターの応酬を逐一ネットニュースにしなくてもいい。


多方面に噛みついて物議を醸している某芸人の発言をいちいちニュースとして取り上げるのはなんなんでしょう。
事務所とそういう契約でもしているんだろうか。
ビギナー視点にすらなっていないし、ニュースバリューはないと思う。
「わからない」という立ち位置からのアプローチはいいんですよ。
池上彰の番組なども、わざと「わからない生徒役」を置いているわけだし。
でも、「わかろうとしない」のは論外。
首をつっこむタイミングがまた今更なことばかりだし。
これがせめてアラサーくらいまでなら、「子どもだったので(もしくは、若すぎたので)、わからなかったけど、今になって気づきました」というスタンスもわかる。
でも、この人現在アラフォー。
東日本大震災の時点で「いい大人」だったわけです。
震災関連では先輩芸人にも地道に支援活動している人はいるし、それ以外も水面下で粛々と動いている人たちがいるのに、まるで自分が初めて気づいたみたいな騒ぎ方をする。
一体これまで何を見てきたんだよと思う。

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2019年2月17日 (日)

知る権利、誰の?

ボヘミアン・ラプソディを観た人で、記者会見の場面のマスコミに怒りを覚えた人は少なくないんじゃないかと思う。
他のメンバーは無視して、音楽と関係ないことをフレディに執拗に質問するあの場面。
日本のメディアの皆さんは、あの場面にどんな感想を持ったんだろうか?
「自分はやってない」とかかな。

で、官房長官の記者会見で物議を醸している東京新聞の望月記者がやっていることも同様に見えるんですけどね、私には。

好感を抱いている人が言論の自由云々で望月記者を擁護したりするのを見ると失望してしまう。
メディアの人同士の連帯感には辟易するし、「報道の自由」に対する権利意識の強さが過剰で、一般(マスメディア以外)の感覚との乖離を感じる。
言論の自由はもちろん大事だけれど、何をやってもいいわけじゃなく、事によりけり、というのが非マスメディアの感覚だと思う。
それに不勉強な状態で質問をすることは国民の知る権利を守ることにはならない。
そもそも、この人が誰の権利を守っているのかと。自分の権利だけでしょ。

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2019年1月 2日 (水)

平成最後の紅白

年が明けて、前夜の紅白歌合戦の賞賛記事が次々と。
記事だけならよくあるお手盛りで記事を書かせたのかと思うところだけど、コメント欄もかなり好意的。
で、後半部分をNHKオンデマンドで視聴してみた。
一部スキップしたりはしたけど、好きな歌手とそうでもない歌手、知っている曲と知らない曲、古い曲と新しい曲の混在具合が古き良き紅白を彷彿とさせて、好評なのも頷ける。

新しい曲だけならチャート番組を、古い曲だけなら懐メロ番組を見ればいいと思うんですよ。
好きな歌手・好きな曲が目的なら特に紅白でなくてもCDを聴くなりライブに行けばいい。
新旧の曲を取り混ぜて、多くの人口に膾炙した歌を聴く機会こそが紅白の良さであり存在意義だったと思うのです。

ユーミンからラストのサザンまではお祭り感にあふれていて、ヤラセ感の薄い演出も良かったし、録画すれば良かったとちょっと後悔。
前回出演時はNHKに遠慮した感のあったユーミンが今回は本領発揮。
バックのメンバー、ほぼティン・パン・アレーだし。
大トリのサザンも圧巻の王道パフォーマンス。白粉に着流しもちょび髭もなし。
おふざけも嫌いじゃないけど短い出番なら歌をきっちり聴かせてくれるほうがうれしい。
椎名林檎と宮本浩次も色っぽくて良かった。
それぞれの持ち時間の中でしっかり歌を聴かせることに主眼を置いた演出に思えた。

音楽番組に対して視聴者が求めるものって昔からそんなに変わっていないと思う。
作り手の側が大人の事情とか勘違いで迷走するのが問題なだけで。

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ちょっと我が意を得たりだった記事↓
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/umeda-b/news/201901020000449.html

サザンもユーミンも、各々のファンだけでアルバムの売り上げもライブの動員も成立する。
そういうレジェンドたちが、アウェイではないにせよホームでもない紅白のNHKホールでパフォーマンスをしたのが良かった。
音楽の継承とか世代を超えて共有する時間とかがあるから。
記事中にもあるように米津玄師は良かったから中継をすべて否定はしないけど、ライブ会場からの中継が今一つつまらないのは、ホームにおけるパフォーマンスをここで見せられてもっていうのもあると思う。

ただ、音楽番組への出演は拘束時間が長くて、アーティストへの負担が大きいという話も聞いたことがあるので、そのあたり改善していったら、もっと見たい人たちが出てくれるんじゃないかな。

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2018年12月28日 (金)

で、好きな曲は?

この記事↓

“原爆Tシャツ”で炎上のBTSが「21世紀のビートルズ」と呼ばれる理由

BTS云々以前に、ビートルズを引き合いに出しながら音楽面には触れず、商業的な現象としてしか見ていないことに脱力です。
ビートルズが巻き起こした社会現象も優れた楽曲の数々があってこそ。
マッシュルームカットを流行らせてキャーキャー言われただけのグループじゃないんだけど。

百歩譲って、当時を知っている人が「騒がれ方が似ている」というのならまだわからないでもない。
「そう感じるんだー」という話なので。
でも、ビートルズを知らない世代が資料を元に語る場合、「騒がれたその後」もわかっているわけです。音楽的な影響も。
それなのに、「騒がれ方」のみを取り上げてビートルズを引き合いに出すのはどうなんでしょう?
曲を聴いてから書けよ、と。

以前、某アイドルがオリンピックとAKB総選挙を比較する発言をして物議を醸したことがあったけど、あれを凌駕するおこがましさ。
筆者を検索してみたら1976年韓国ソウル生まれで専門はメディア文化研究とのこと。
アイドルの失言ならまだしも、インテリがこの認識ですか。

日本はリアルタイムの世代ではなくとも、何度かの赤青盤発売時のキャンペーン、ビートルズ世代の親の影響、好きなミュージシャンのリスペクトの対象だったetc.ビートルズの音楽及び影響力を知る機会が多々ある。
だから、ビートルズを音楽抜きで語ることには違和感しかない。
たとえ現象面に焦点を絞っているのだとしても。
だってビートルズはミュージシャンなんだから。

これに限らずK-POP賞賛の記事ってランキングが~とか、「○○に人気がある」とか、ものすごーくざっくりしている。具体的に褒めてもせいぜい「歌と踊りがうまい」とか。
「○○という曲が好き」みたいな意見を見たことがないのが不思議。
代表曲とか出すと思うんですけどね、普通は。

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ところで2015年のショパン・コンクールの優勝者が韓国人ピアニスト。
日本人がショパン・コンクールで優勝したら、ちょっとしたお祭り騒ぎになると思うけど、韓国が騒いでいた記憶がない。
紛れのない快挙だし、Kポップの人気を捏造してマウントとるよりもはるかに良いと思うのだけど、韓国内ではショパン・コンクールが認知されていないのだろうか。

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2018年11月18日 (日)

かつての万葉集解読ブームに思うこと

1990年代前半に「万葉集を古代朝鮮語で解読する」という本が相次いで出版されたことがあった。
ブームだったかも。
ちょうど梅原猛の「隠された十字架」、「水底の歌」を読んだところで、芋づる式の興味で藤村由加の「人麻呂の暗号」を読みました。

「人麻呂の暗号」は「実は草壁皇子の鎮魂の意味が込められている」などの解釈が魅力的だったのだけど、彼女たち(藤村由加は四人の名前を組み合わせた筆名)が学んだのは韓国語と中国語(と記憶している)で、現代の韓国語と万葉仮名を結びつけるのは強引すぎるというモヤモヤは残った。

それで、次に選んだのが古代の韓国語で万葉集を解読したという李寧煕の「枕詞の秘密」。
古代韓国語なら関連性はありそうだと期待したけど、いちいち変な解釈をして、あまりに不愉快なので途中で放り出した。

半島起源説に特にアレルギーはないし、古代朝鮮語と古代日本語がどう対応しているかには興味があった。
日韓とも昔の公文書は漢文だったし、漢字の読みに呉音・漢音・唐音があるように古代朝鮮語の読み(音)と対応する漢字があるのなら、それを元に解読できるのかなと思ったのだけど、違った。
連想ゲームみたいなこじつけを羅列して「古代朝鮮語ではこう読むんです!」と言うばかり。
古代朝鮮語の語彙は出てくるけど、それがどの文字に対応するのかを言わない。
不完全でも古代朝鮮語と漢字と万葉仮名の対応表とか一覧表があれば、もう少し説得力があったと思うんだけど。
これで古来から有名な歌を春歌みたいに解釈されましてもって感じだった。

「文献が残っていない古代朝鮮語」(高麗あたりで焚書にあったらしい)で「まとまった形で残っていて体系づけられている万葉仮名」を解読することにそもそも無理があったわけです。
逆に万葉仮名で古代朝鮮語を類推するほうがずっと合理的。
そういう本が売れるかどうかは知らないけど。

韓国及び韓国好きの人に対して、軽微ではあるけれど警戒心を抱くようになったのは、これ以来だった気がする。
根拠のない上から目線とおめでたさ。


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中国でピンインを読めない人が増えている人がいるということを小耳に挟んで、どうやって入力しているのかと思ったら注音があるのか。
中国語の発音記号。
ハングルって、注音記号と同じようなものだと思うけど、発音記号だけでちゃんと表現できるんだろうか?
いろいろなことに漢字廃止が影響していそうに思う。
来年から漢字教育が復活するそうだけど、まともに話し合えるようになるのは再び漢字が定着してからかもしれない。


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漢字がないほうが外国人が日本語を学ぶ時にとっつきやすいという意見を見たけど、そりゃ観光旅行レベルならそれでいいけど、もっと突っ込んだ話をしたい時にどうするんだよと思った。

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2018年11月13日 (火)

不勉強と悪趣味

文化交流といいつつ韓国の地上波では依然として日本語禁止。
日本のテレビ局が韓流ドラマを放送するのは一方的だと以前から思っていた。
特に「強制的に受信料を徴収している」局が反日の姿勢を改めない国のドラマを流すのは非常に苦々しい。
K-POPの紅白出場は論外だし、韓流ドラマも即刻放送を止めてほしいくらい。
メディアによれば今は第三次韓流ブームとのことだけど、まったく実感がない。
第一次の冬ソナの時は一応「ブームなんだな」という認識はあったし、ブームに至るまでの経緯に不自然さを感じなかったけど、その後はメディアがゴリ押し及びステルスマーケティングに勤しんでいて鬱陶しいという印象しかない。
今の女子高生たちのK-POP人気がステルスマーケティングに影響されたものだとしたら、それはちょっと憂うべき状況だと思う。
ある意味洗脳なわけで「女子高生に人気!」とか言ってる場合じゃない。


BTSについては反韓流とは問題が違います。
徴用工問題で反感を持つ人が増えたために、過去の行動の掘り起こしと拡散が行われたという点では関係があるけれど。
日韓ワールドカップの時にホスト国とは思えない(ホスト国じゃなくてもダメだけど)サポーターの振る舞いの数々で顰蹙を買ったけど、今回も根は同じだと思う。
無礼なことを平気でするけれど、取り立てて強いポリシーがあるわけではない。
もしかしたら、コンビニの冷蔵庫に入った動画をアップした輩と同じような意識。
そこには悪気も憎悪の念もなく、でも、悪気がないから批判の意味がわからず同じようなことを繰り返す。

それにしても反日なのはまだわかるけど(受容はしていないけど)、ナチスパフォーマンスとか収容所のコスプレって何を意図しているのかまったくわからない。
これがサッカーだったら無期限出場停止か無観客試合くらいの処分になるレベルなんだけど。

単純に歴史を知らないというのならまだわかるし、それなら日本にも大勢いる。
(どこかのグループのファンとかファンとか)
でもただの無知なら囚人コスプレに「敢えて」縦じまを選んだりしない。
そもそも知らないわけだから。
そういう発想がどこから来るのかが謎。
韓国で教えている日本関連の歴史が日本で教えている内容と違うであろうことは想像に難くないけど、アジア以外の歴史をどう教えているのかも疑問です。
まともに歴史を教わっていたら絶対に茶化さないはずのことを茶化すから。
海外の世界史の本を読もうにも、漢字が廃止されているのでは翻訳にも限界がありそうだし、まともな歴史の本に触れる機会がないのかもしれない。

被害者意識が強いあまり、他者の痛みを理解できないからこういうことをやらかすのかな。

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2018年9月23日 (日)

きっかけと原因は別

物事のきっかけと原因は関連性はあってもイコールではないことが多いけど、きっかけと原因を混同しているのが目に付く。
最近だと体操協会のパワハラ問題とか。
宮川選手と塚原夫妻のどっちが悪いかという議論に持ち込もうとする向きがあるけど、それは違う。
宮川選手へのパワハラと塚原夫妻の体操協会の私物化は別の問題。
経緯としてはパワハラ告発に付随して表面化したけれど、2020の不透明な選考基準とか施設の使用など問題としてはより大きい。
もちろん、パワハラはパワハラでしかるべき対処が望まれるし、暴力を容認などはしていない。

塚原夫妻及びフジテレビはきっかけをつぶせば原因が消えると勘違いしているみたいだったけど、そういう勘違いをするあたりが指導や管理には相応しくない。
定年で退いていれば老醜をさらすことはなかったのだろうに。

トップが老害の具体的な例としてシドニー五輪の水泳の選考を思い出す。
あの時の会長は終身で絵に描いたような頑固ぶりだったけど、定年で辞めていれば恣意的な不透明な選考で選手が泣くことはなかったし、フジヤマのトビウオが晩節を汚すことにもならなかった。
今回のムーンサルトも同じく。
金メダリストの塚原副会長が職にいることは、百歩譲って現役時代の実績へのリスペクトと解釈できなくもないけど、それでも30年は長すぎだし定年を定めるべき。
役職に居続けさせることではなく、きちんと引導を渡すことこそがレジェンドへのリスペクトだと思う。
塚原強化本部長については一般人からしたら「実績ってなに?」だし、指導方法の古さも指摘されているわけで、パワハラや公私混同の問題が明るみに出なくても定年を反故にして要職に居続ける合理的な理由はない。

ここは文科省とかスポーツ庁の出番だと思うけど、体操だけでなく、国が助成金を出す競技団体の役職の定年を定めて老害をなくして欲しい。
能力があって知識をアップデートしている人が定年後に仕事を続けたいのなら嘱託みたいな形で仕事をする制度はあっていいけど、年功序列では組織が淀む。
ボクシングの「終身会長」なんてもう論外。

テレ朝の宮嶋泰子も昔は選手に寄り添った良心的な取材をする人だと思っていたけど、ただの老害になってしまいましたね。
顔つきまで違ってしまった。

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2018年8月18日 (土)

初期の村上春樹作品を自炊、批判の作法

お盆休み、思い立って村上春樹の初期作品を自炊した。
初期のものはハードカバーなので自炊するには中古の文庫を購入するところから始めることになり、やろうと思いつつ伸ばし伸ばしにしていた。
それをやる気になったのは、ある記事がきっかけ。
ここまで否定されて逆に愛着が強くなったというか。
ここらで「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「カンガルー日和」をiPad miniに入れて、いつでも読めるようにしようと思ったのです。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」は既に自炊済み。

自炊作業に踏み切るきっかけとなった記事がこれ↓。

村上春樹の小説を僕が嫌いな理由(コリン・ジョイス)


嫌いな理由を論理的に分析しているのかと思いきや
「よくわからないし、ちゃんと読む気もないけど、自分がわからないのに人気があるから嫌い」という内容。
なんだこれ。

ファンが村上春樹の魅力を語れないと書いているけど、この人も「嫌いな理由」をタイトルにしながら具体的に説明できていないのはどうなのか。
私自身、今は熱心な読者ではないし、長編小説が長すぎるというくだりには大いに同意。
でも、それは「ねじまき鳥クロニクル」以降の話。
「ダンス・ダンス・ダンス」までは特に長いとは思わなかったな。

>>ただし僕が村上ファンと話をすると、いつも彼らは村上を支持する説得力ある理由を言えない。「特別な魅力がある」とか「作品の空気が好きなんだ」と言うだけで、村上が何について書いているのか、なぜ村上が重要かを理解できるようなことは言ってくれない。

そもそも、なぜ好きな作家の面白さを他人に理解できるように言わなくてはならないのか、というのもあるけど、「ダンス・ダンス・ダンス」までなら魅力は語れますよ、具体的に。
でも、「羊をめぐる冒険」を「途中まで読んでやめた人」を納得させることはできないだろうし、しようとも思わない。
この人が話したという村上ファンだって同じじゃないのかな。
「ノルウェーの森」以前は「羊をめぐる冒険」以外の作品には一切言及なしだし。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」も。

>>村上はジョージ・オーウェルやフランツ・カフカなど他の作家にさりげなく言及する。音楽家についても同じことをよくやっている(ヤナーチェクやコルトレーンなど)。ひいき目に見れば偉大な作家たちへのオマージュだが、シニカルに見れば自分が偉大な先人に近づいたことを暗に伝えようとしたり、彼らの名声を借りようとしたりする行為だ。

自分の好みじゃなかっただけで、ここまで穿った見方をするのかって思う。
「つまらなかった」でいいのに。

この人に限らず、村上春樹を批判する人たちの多くは「村上春樹を面白く思えない自分」に焦りを感じて、その原因である村上春樹を叩いているっていう感じがする。
「なんで自分に理解できない小説を書くんだ」、と。
その焦りがよく理解できない。
どんなベストセラーだろうが大作家だろうが、しょせんは好き嫌いの話でしょう?
いわゆるハルキストにしても、読むのが当然とか理解できない人に圧力かけたりはしていないと思うのだけど。
(してるのか?)
司馬遼太郎を司馬史観で括りたがる人たちともちょっと共通しているかもしれない。
勝手に権威扱いして、勝手に否定するという。
好意的な読者は別に権威だから読んでいるわけじゃなく、面白いから読むんだけど。

ちなみに、私が村上春樹を読んだきっかけは映画監督の大森一樹のエッセイ(コラム)でした。
ここまで言うなら読んでみよう、と思ったのが始まり。
さらについでに、レイ・ブラッドベリを読んだのは山下達郎がロングインタビューで勧めていたから、でした。

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