カテゴリー「つぶやき」の161件の記事

2017年3月21日 (火)

バッシング記事

時折思い出したように出てくる小栗旬と上野樹里のバッシング記事、あれはなんなんですかね。
バッシング記事自体は珍しくもないけど、この二人と安藤美姫のはちょっと頻度とタイミングと内容が引っかかるので。
安藤美姫については出所が見当ついていて、小栗旬についても俳優組合云々が目障りな人たちがいるんだなと思うけど、上野樹里は(主として)雑誌媒体の人たちの悪意を感じる。
よほど取材時の態度が気に入らないんだろうけど、だから何って感じです。
その手の記事を見て毎度思うのは、この人たちは好きなドラマとか映画とかないのかな?っていうこと。
ゴシップが三度の飯より好きな人たちもいるだろうし、プライベートっていうか本人像に興味がないわけじゃないけど、一番の関心事は出演している作品が面白いかどうか、良い演技をしているかどうかに尽きる。
それをあることないこと書き散らして、仕事とはいえ生きててイヤにならないかな。

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2017年1月10日 (火)

社会の窓

成績が悪くて一番凹むのは本人なのだから、スポーツ関連の報道は甘口くらいでちょうどいいと思っています。
本来はね。
でも、コーチの言うことすら聞かない、他人のアドバイスを受け入れない、そして、失敗を失敗と認識しないという選手にとって、マスコミの甘さは害になるようです。
テレビの解説にショックを受けて母親が抗議したという話もあったから、テレビでの批判は気にするらしく、ネットの反応を受けて発言に微妙な修正をしてくることがあるから、ネットも多少は気にしているとと思われる。
とすると、テレビの解説が「ダメだったところを指摘する」という当たり前の状況下にあれば、少しは客観的に自分を見ることができるようになっていたかもしれない。
だけど、そういう数少ない「社会の窓」をまず母親が、そして自らもふさいでしまって今に至る。
子どもは親を選べないから気の毒な点はあるけど、監禁されていたわけじゃないんだから気づく機会はいくらでもあったはずだとも思う。
一人の選手のために異常な状況が作り出される現状はもううんざりだし、闇の中には一人でいて。

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2016年12月 3日 (土)

ライオンのグータッチ

安藤美姫が11歳の女の子を指導するというので興味を持ってみているけど、いいじゃないですか安藤コーチ。
以前、初心者の子どもたちを指導するのは見たことがあったけど、今回は試合に出るレベルの子。
言われたことを消化しきれずに、一杯いっぱいになっていると、すぐに察して休憩をとったりと、タイミングも絶妙。
なまじ天才なだけに、すぐに出来ない子の気持ちはわからないんじゃないかという心配はあったけど杞憂でした。
身体的な面、技術的な面もしっかり見ていて、具体的な修正個所を把握し、練習メニューを指示し、伝え方も簡潔でわかりやすい。
番組スタッフのジャンプやスピンがすぐに上手くなるコツはあるかという問いかけに「コツはない。回数です」ときっぱり。
地味な練習の大切さを知っているんだな。
ちょっとずつだけど、前に進んでいる。

そして、NHK-BSの「奇跡のレッスン」
こちらはもう少し上級編で、シェイリン・ボーンが表現を教えるという内容。
技術はあるけど感情を出すことが苦手な子が、いつもは一つに結んでいた髪をほどいたとたんに表情が変わったのが面白かった。
解放感って、こういうことで感じられるものなのかーと。
曲について物語を書かせたり、毎日感謝の気持ちを書かせたりというアプローチも興味深い。
一つ気になったのが生徒たちの親たち(主に母親)が成熟していない印象を受けたこと。
年齢的にはボーンのほうが年下だと思うんだけど。

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2016年11月27日 (日)

卒業か落選か不出場か

和田アキ子が紅白落選したことで、卒業宣言などせず素直に悔しがっているのは好感が持てるかな。
紅白で一度くらい浜田省吾提供曲を歌って欲しかったんですけどね。
事務所後輩の榊原郁恵がB面曲の「悲しきクラクション」(杉真理のオリジナルは大好き)を歌ったことを思えば、「ダンス・ウィズ・ミー」はA面だったし、歌ってもおかしくなかったと思う。
A面が柳ジョージ、B面が浜田省吾提供のシングルを出したりしていたのだが。

歌手としての過去の実績と実力は認めざるを得ない(と、ナンシー関が悔しがったくらい)ところがあるし、「タイガー&ドラゴン」とか、結構面白いコラボをやったりするのに、それを積極的に広げていこうという気がなさそうだった。
他のミュージシャンへのリスペクトとか向上心が見られなくて、発言が芸能界の慣習ありきというか、ミュージシャンではなくどっぷり「芸能人」のスタンスなのが残念な人だと思う。

大晦日に家族が揃って同じ歌を聴くという意味とか良さはあると思うけど、出場しないからなんだっていう思いもあり、落選を卒業と言い換えるのもなんだけど、落選なんだか出演交渉不成立なんだかわからない人を落選呼ばわりするのもどうかと思う。


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2016年11月14日 (月)

気になるニュース

土人発言って、特に沖縄の人たちを指しているわけではなく、くだんの機動隊員の罵詈雑言のボキャブラリーの中にそれがあったということではないんだろうか。
そういう語彙が出てくることを決して肯定はしないし、教育を見直したほうがいいんじゃないかとは思うけど。

帰宅時間に大手ゼネコンの入っているビルの前で拡声器使って訴えている一群がいるけど、まくしたてているだけで何を言っているのか全然わからない。ただの騒音。
通行人に伝えたいなら、もっと整理して、ゆっくりとした口調で話すべきだし、企業への訴えなら文書を渡せばいいわけで、大声で騒ぐ意味がわかりません。

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電車内化粧の是非が議論になるのがちょっと不思議。
モラル、羞恥心、周囲への実害等の観点から、是か非かを問われれば「非」。
ネットの論争には、さすがに「私は車内で化粧をします」という人の参加はないけれど、不可解なのが「自分はしないけど、迷惑じゃない」と主張する「気にならない派」の存在。
目指すものがわからない。

具体的に罰則を設けるとか、自分が注意するかどうかとなると、また違う議論になるけれど、迷惑だ・マナー違反だという意見を論破しようとさえするその熱意はどこから来るのか。
これに限らず、「ダメなものはダメ」というきっぱりした意見にやたらと反論したがる人がいる。
その手の人たちは線引きすること自体を嫌悪しているみたいで、なんで?って思う。
(漠然とした)自由が阻害されると思っているのかな。
そりゃ、自分の首を絞めるような規制に対しては私だって抵抗するけど、車内化粧が禁止になったとして(ま、そこまではならないと思うけど)、困るのは現在進行形で車内で化粧している人たちだし、その人たちだって、それで死ぬわけではなかろうに。


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防犯のため?住民あいさつ禁止
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161109-00000005-rnijugo-life

「知らない人にあいさつする」のと「知らない人についていく」のは全然違うと思うのだが。

挨拶の後に世間話がついてきたりというのが、ちょっと重いかなという気はして、海外みたいに定型ワードと会釈だけで軽くすまないものかとは思う。
でも、「もうちょっとなんとかならないかな」ではなく、根こそぎなくしたいという発想がちょっと怖い。

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2016年10月16日 (日)

ハルキスキ

村上春樹は、現在進行形でハードカバーを買うほどの思い入れはないけれど、過去の好きな作品への愛着がなくなったわけでもなく、文庫になったら買いますというスタンス。
なので、ハルキストの熱心さにも違和感はあるけれど、ノーベル賞受賞ならずの記事のコメント欄に否定的なコメントを書く人たちにもモヤモヤする。
知名度が低ければアンチも(ほとんど)いないので、村上春樹のアンチの多くは「ノルウェーの森」がベストセラーになったあたりから出てきたと思うけど、「蛍」のラストの描写の美しさを感じられなかったのだとしたらもったいないことである。
「蛍」のモチーフは「ノルウェーの森」よりも短編の「蛍」で読むほうが印象深いけれど。

ノーベル賞を受賞して「夜会服で晩餐会に臨む村上春樹」を密かに楽しみにしているのだけれど、村上春樹自身はきっといやでしょう。

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過去の印象をアップデートしない人たちって

はるか昔に受けた印象や見聞きした情報を、何かあるごとに掲示板等に書き込む人を時々みかけるけど、それってどうなんでしょう。
具体的には、安藤美姫の話題になると、必ず「腕をぶんぶん振り回す」と書く、杉山清貴がオメガトライブ時代の曲を歌わないと非難する、など。
今の・・・というか、何年も前から、安藤美姫は指先まで神経と感情の届いた動きをする。
杉山清貴はライブでオメガトライブ時代のヒット曲を歌っているし、リスペクトしている。
人って変わるものなのにね。良くも悪くも。

興味がないなら情報が古かろうがちっともかまわないけれど、どこかに何か書きたくなる程度にでも関心があるのなら、最近の情報くらい調べてみればいいのにと思う。
書き込むのに使っている機器で。

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2016年8月20日 (土)

芸能界に労働者の権利はないのか

芸能人が事務所からの独立という話題になると、必ずと言っていいほど「一定期間干されるのが不文律」みたいな報道が出てくる。
新人の場合は売り込みにかかった経費の回収とかがあるだろうから、「ある程度の」ペナルティは理解できるとしても、あくまで「ある程度」です。
ところが、それなりに活躍している貢献度の高いタレントまでもが独立となるとペナルティが当然みたいな風潮があって、なぜ円満退社にならないんですかね。
昔の遊郭の足抜けじゃあるまいし。
いえ、遊郭だって年季明けはあったから、それより非人道的。

プロ野球だってフリーエージェント制が出来たのに、芸能事務所が旧態然としていて、マスメディアがそれを当然のこととして報道するのもおかしい。。
1000歩くらい譲って事務所が利益のために権利を主張するのはまだしも、メディアが事務所側に立ってどうする。

仕事をするために事務所(会社)がないと成り立たないことは理解していても、消費者が求めているのは商品であって別に事務所を見たいわけじゃないですからね。
一般社会では人権侵害な芸能界のローカルルールを当然のように言われても、「それって変でしょ」と思うだけで「ああ、そうなんだー」とは思わない。

デビューして25年のヒット曲・ヒット作多数で充分過ぎるほど貢献した国民的アイドルまでが事務所の都合で左右されるなんて夢も希望もない世の中である。


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2016年5月 6日 (金)

どうでもいい

ベッキー絡みの一連の報道について、不倫云々はどうでもいいです。
あくまでもプライベート、当事者同士の問題。
流出したLINEも感じが悪いといえば悪いけど、LINEの内容が流出することのほうが気になるし、歌とか演技とか、具体的に好きな点があればもしかしたら目を瞑れるかなーという感じ。
思えば、ドラマもバラエティもソツはないけれど突出した何かがあるわけじゃないし、
優等生キャラに興味がなく、好感度を特に重要視しない者にとってはベッキーはどうでもいい存在。

今回の件で問題なのはベッキーの人気が実体の無い好感度頼みでファンとかターゲットにしていた層があれやこれやを「どうでもいいと思わない」人たちであったこと。
そこのところを勘違いというか、わかってないなーと思う。本人も周囲も。


世間は意外と嘘に対して厳しいなというのも今回の件に関する感想だったりするけど、芸能人の会見なんて必ずしも真実を言う必要はなく、「世間が納得すること」を言えばいいと思っている。
繰り返すけど、所詮はプライベートの話だし。
ベッキーもそういう認識で会見に臨んだのだろうけど、肝腎の世間が納得しなかったのが大きな誤算。
納得させられなければ元も子もない。

会見した時点で優等生キャラを捨てていれば活路はあっただろうと思うのです。
恋に一途な女性に対して同情的な人も少なからずいるのだから。
「ああ生身の人間だったのね~」とか。
でも、どうやらベッキー自身が同情されることを拒み、優等生キャラにこだわっていたようで。
そして、納得していないところにLINEの流出でダメ押し、と。

で、どうせ嘘をつくならLINEの存在を否定するべきだったけど、そういうアドバイスをする人はいなかったんだろうか。
LINEの流出は違法行為だし、スクリーンショットの捏造は可能だし、否定された場合に文春側が本物だと証明するには違法行為を犯した人を明かす必要があったのに。
嘘を推奨するわけじゃないけど、嘘をつくのならつき通すくらいの覚悟が要りますよ、と。
その覚悟がないなら正直者でいるほうが楽です。嘘ってとかくバレるものだし。

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私がベッキーを見る機会が一番多かったのは志村どうぶつ園だったけど、進行役は山瀬まみだし、突っ込まれ役は近藤春菜、投稿写真への一言コメントで指名されるのは主としてDAIGO、時々相葉雅紀でベッキーが指名されることはほぼ皆無。
スキャンダル報道以前も、担当していた犬の企画が終わってからはベッキーは置物状態で発言すらなかった気がする。
それが避けられているとか干されているとかではなく、ベッキーがリスクを避けているように見えたんである。
一言コメントはとっさの機転が求められるし、道化役は「笑われる」ことを受けいれて成り立つ役割だけど、どっちもやりたくないのだなと。
視聴率の責任を負わされることもなく、演技力を批判されることもなく、体を張ったロケもなく、知識や機転を求められて恥をかくリスクもない、容姿もタレントの及第点はクリアしているけど、モデルや女優ほどには求められない、ローリスクハイリターンなポジションだったけど、CMその他の損害賠償を考えると決してローリスクではなかったようで。
今回の件で、おそらくベッキーにとって一番痛手だったのは「いなくても困らない」ことが露呈したことだと思う。
ゲス乙女が活動休止しなかったのは、彼らの音楽を必要とする人がいたからだし。多少減ったとしても。

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2016年4月26日 (火)

左手に告げるなかれ?

先日、ライブ会場に設置された募金箱にささやかながら募金してきた。
ほんとうに微々たる金額ではあるけれど、それでも確実に被災者に届いて欲しく、その点、好きなミュージシャンのライブ会場の募金箱というのはファンにとっては信頼度が高い。

災害時に寄付を公表した人に対して、ちょっと複雑な感情を抱くのは「左手に告げるなかれ」ということが意識にあるからかもしれない。
ただ現実には公表することがエールになったり、有名な人の行動に影響されて寄付する人が増えたりするので、必ずしも謙虚が美徳ってわけでもないよなーとも思う。
ケースバイケース。

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