カテゴリー「映画(1970年以前)」の5件の記事

2011年12月 1日 (木)

ジンジャー・ブレッドの星

いつもより長めに「家政婦のミタ」を見ていて、なんだか「メアリー・ポピンズ」みたいと思ったら、そう思っている人は結構いるみたい。
初めて「空からきたメアリー・ポピンズ」を読んだ時は、笑わなくて怖いメアリー・ポピンズに子どもたちが懐いてしまうのがちょっと不思議だった。
そこがいいんですけどね。
映画のジュリー・アンドリュースは愛想良すぎたくらい。

ジンジャー・ブレッドの包み紙の星を夜空に貼り付ける話が好きで、少し前、ロンドンのお土産でもらった時に、そのことを思い出した。
ジンジャー・ブレッド自体は「美味しいっ」というものではなかったけれど。

一番好きなのはバートが描いた絵の中のお茶会。
ラーフィング・ガスのお茶会も好き。

映画よりも本のシリーズのほうがなじみがあるけど(だから、「メアリー」・ポピンズ)、面白がって憶えたスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスは今でもソラで言えます。
頭のメモリの用途を間違っている気がしなくもないけど。

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2008年12月27日 (土)

アラビアのロレンス/完全版

新宿のテアトル・タイムズスクエアにて鑑賞。
DVDは持っているのだけど、一度は劇場の大スクリーンで見てみたいと思い、行ってきました。
劇場で上映される機会もそうないことだし、上映時間の長さを考えると自分の気力・体力とも相談しないといけないし、これが最後の機会かもしれないと。

四時間弱の上映時間はお尻にはずいぶんと苛酷だったけど、思い切って出かけて良かった。
大画面で雄大な砂漠を観ることができたのは素晴らしい経験だったし、DVDでは気づかないことがたくさんありました。

理想と狂気のはざまで揺れ動くピーター・オトゥールのロレンスが素晴らしいのは言うまでもなく、彼を取り巻く一筋縄ではいかない人たちがみんな複雑で面白い。

パンフレットのキャスト紹介が古いなーと思ったら復刻版だったようです。


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2006年2月15日 (水)

映画「山猫」

BS2 衛星映画劇場放送予定
山猫 完全復元版 IL GATTOPARDO 1963年・イタリア/フランス 3月24日(金) 後7:30~10:38

DVDを買いたいと思いつつ、6300円という価格に躊躇していたので、放送されるのはとてもうれしい。
この映画は、高校生の時にテレビで見たのが最初。
その時は、やたらと長く感じて、「バート・ランカスターがアメリカ人なのにちゃんとイタリアの貴族に見えるのはすごい」とは思ったものの、「クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ役)が下品」とか「アラン・ドロン(タンクレディ役)が貴族に見えない」とか難癖をつけて、途中で見るのをやめてしまった。
でも、それから何年かしてから原作の文庫版を読んで、折りよくリバイバル上映をやっていたのでそれも見にいったら、かつての自分の鑑賞力が未熟だったことを思い知りました。
アンジェリカは「粗野だけど勢いのある新興勢力」を象徴しているわけで、それが監督の狙いなのだから「下品」というのは批判として的はずれだったし、タンクレディも老公爵との対比になる「若さ」を示す存在なので貴族らしさはそもそも主眼ではなく、でも、実はちゃんと貴族に見える。そう見えなかったのは自分の知識不足のせい。
タンクレディが「サリーナ公爵邸を訪れて、猟犬とたわむれながら公爵一家に挨拶する」というシークエンスがあるけど、颯爽とした身のこなしが闊達な貴族の若者そのものだったし、舞踏会のシーンでも微妙な心の動きを表現していて、「アラン・ドロンって演技の上手い人だったんだー」と認識を改めた。
だいたい、私が気づくような「貴族らしくなさ」があれば、監督のヴィスコンティが気づかないはずがなく、OKを出すはずがないのですね。正真正銘の貴族出身なのだし、完ぺき主義者で俳優の演技指導には厳しいことでも知られていたのだから。

それ以外も映画全編に原作が細部にわたって反映されていて、「映画と原作は別物」派なんだけど、「山猫」に関しては原作を読んでから見るほうがわかりやすいと思った。
ただし、映画が「原作を読まないとわからない」という描き方をしているわけではなく、映像の中の情報量が多くて、うっかりすると見過ごしてしまいそうだから、です。
これは原作に忠実でありながら、原作を超えた稀有な映画、だと思う。

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2006年2月13日 (月)

ティムシェル(汝、意思あらば、可能ならん)

土曜夜のテレビ朝日のSmaStation5でジェイムス・ディーン特集をやっていて、長年にわたる勘違いが一つ判明。
ずっと「エデンの東」で、ポール・ニューマンがジェイムス・ディーンとキャルの役を争ったと思っていたのだけど、ポール・ニューマンがテストを受けたのはアロン役だったのか、と。

「エデンの東」は、映画→テレビドラマ→原作の順で見ている。
原作は三代にわたる長大な物語で、善と悪の対立、原罪からの解放がテーマ(「BOOK」データベースからの受け売り)。
映画は原作の最後の一部分を描いたもの。
設定もストーリーもほとんど原作どおりでありながら、映画と原作でここまで異なる印象を与える作品も珍しい。どちらも紛れもない傑作なのだけども。
テレビシリーズはサリナスのレタス畑の風景などは映画と同じだったけど、ほぼ原作に忠実な内容で、やはり全体的に映画とは印象の異なる作品になっていた。こちらも面白かったけど。

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2005年7月12日 (火)

愛しのジュリエット

先週発売の週刊文春にオリビア・ハッセーのインタビューが。
「ロミオとジュリエット」のジュリエット役について語っていた。

どんな仕事でも必ずジュリエットを求められてしまう。なかなかそれ以外の私を見てもらえることがなかったです。だから、時々、「あのとき、『ロミオとジュリエット』に出ずにロンドンに残っていれば、もっと舞台も踏めただろうし、いろんな役にチャレンジできたのになあ」と思うことあります。

俳優にとっての「ハマり役」って、つくづく難しいものだと思う。
ナタリー・ポートマンのように、良い時期に複数の良い作品に巡り合えれば幸運だけど、たいていは少女期に決定的な作品に出演してしまうと、その後が難しい。
そういえば、ナタリー・ポートマンはディカプリオ版の「ロミオとジュリエット」のオーディションを受けて落ちたんだっけ。
ただ、オリビア・ハッセーはこうも語っている。

「でも、プラス面もたくさんありますから。やはりこれは映画史上に残る、永遠に生き続ける作品だということが一つ」
「そういう映画は滅多にないから、出演できたことはとても光栄です。」

今や決定版といってもいいオリビア・ハッセーのジュリエットだけど、すんなりと彼女に決まったわけではなく、もともとは従来のイメージに沿って金髪で青い目のジュリエット役をキャスティングしていたのが、撮影準備期間にうっかり髪を当時流行のショートカットにしてしまったために降板。
次に選んだのがオリビアだったと、ゼッフィレリの自伝に書いてあった。
運命的というかなんというか。

何度も見るくらいに好きになる映画って、最初はもちろんストーリーから入るのだけど、なん十回も見るとストーリーはどうでもよくなってきて、それよりも衣装の質感であるとか、音楽であるとか、役者のちょっとした表情とか、ディテールに目を凝らすことが多くなる。
なので、「ロミオとジュリエット」も、昔は、別れのシーンで泣き、ロミオの死で泣き、ジュリエットの死で泣き、ラストシーンで泣く、という具合だったけど、今はわりと淡々と見るようになっている。
だけど、こんなふうに擦れてしまっても、ジュリエットがロミオにキスをして「Thy lips are warm!」と取りすがって泣く場面(そしてニーノ・ロータの音楽がたたみかけるように流れる)だけは、泣いてしまうんだな。
エンディングクレジットが流れる後ろで、モンタギュー家とキャピュレット家の面々が和解していくところも、ひそかに涙のツボです。

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