カテゴリー「映画(邦画)」の54件の記事

2016年8月21日 (日)

シン・ゴジラ

期待が持てそうな予告編だったし、話題になっているから、と時間が空いた時に軽い気持ちで見に行ったのだけど、自分がこんなに「ゴジラ」を楽しめるとは思わなかった。
とにかく人と話をしたくなる要素がてんこ盛りの映画なので、すぐに親しい人を道連れにしました。
会議のやりとりの面白さなんかはテレビやDVDでも楽しめるけど、映画館の大スクリーンで観ないと伝わらない場面があるから。

市川実日子演じる尾頭さんが大人気ということで、なんだかとてもうれしい。
「めがね」の時もそうだったけど、市川実日子は「おしゃれじゃないスーツ」をとてもきれいに着こなす。
おしゃれじゃないスーツだからお洒落ではないんだけど、佇まいとか身のこなしとかがスッとして、いちいちキレイなのです。

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2013年8月 4日 (日)

風立ちぬの長めの感想

「風立ちぬ」をこれまでに3回見て、公開している間にどうにかしてあと1、2回は見に行きたいと思っているところ。

「宮崎駿の次回作は『風立ちぬ』』のニュースを見た時は、堀辰雄の小説をそのまま映画化するのかと思ったので正直かなり失望したのでした。
それが西島秀俊が出演すると聞いて「行こうかな」に変わり、さらに「是非行きたい」になったのは登場人物の絵や背景が公開されてから。
絵を見て、宮崎駿の描く大正と昭和を見てみたいと思ったのです。
思えばポニョの時も、最初は興味がなかったのが新宿の西口広場で鞆の浦の絵を見て気が変わったので、映像の美しさは劇場に映画を見に行くかどうかを決める非常に大きなポイント。

江戸情緒を残した二郎の故郷、関東大震災から復興しつつある東京の和洋折衷な建物、名古屋に向かう汽車から見える輪中集落、昔の名古屋駅etc.、風景や町並みの描写がきめ細かで鑑賞回数を重ねるごとに発見がある。
「ハウルの動く城」のソフィの町のモデルになったコルマールのように古い町並みが現在進行形で生活の場として残っているヨーロッパと違って、日本では古民家博物館とか白黒写真で偲ぶしかない場所が多いから、そういう現代では残っていない風景がジブリの映画として残るのは素晴らしいことだと思う。
輪中は、小学校か中学の社会科で習ったきりだけど、画面に出てきて「これが輪中か」と感動。

軽井沢のホテルの夕食の場面で、二郎が白いスーツを着ているのが、「戦前の白い麻のスーツの紳士フェチ」にはたまりません。
それ以外も、二郎の姿勢のよさと上着の背中とズボンのラインとか、図面を引くときの手の美しさなども萌えポイント。

思った以上に物議を醸している庵野秀明の声、汽車で席を譲る時の第一声は違和感があるけど、菜穂子と「Le vent se leve,...」のやりとりをするあたりから気にならなくなり、「機関車は爆発などしない」で「合理的な理系の人」として受け入れ、最後にカプローニと出会った場面の「天国?、地獄かと思いましたよ」「一機も戻ってきませんでした」の台詞は余人に替えがたいほどぴったりしっくり。

菜穂子役の滝本美織は、宣伝番組で見ると普通のイマドキの女の子だけど、映画の中では戦前の上流のお嬢さんの声と話し方。
NHK-BS時代劇のくの一役も良かったし、プロフェッショナル。


上手いだろうと思っていたけど、予想以上に上手かったのが本庄役の西島秀俊。
本庄の「イラチな天才」ぶりと二郎への友情など微妙な感情のさしひきを適確に演じていて、この本庄像があったから二郎の茫洋とした良さが引き立ったと思う。
ファンとして鼻が高い(笑)。
なお、個人的な実写版「白い麻のスーツを着た紳士」のNo.1は「丘を越えて」の西島秀俊、次点がレオン・カーフェイだったりします。

カプローニと本庄の台詞は、二郎が黙っている時は同意しているのだと解釈している。
二郎にとってどうでもいいことは雑音として聞こえるし(少年時代のいじめっ子、会社の重役、会議に出席している軍人たち)、ちゃんと話を聞いていて異論がある時は二郎は意思表示をする(例:「鯖は美味いよ」「牛は好きだよ」)から、そうでない時は同意なのだろうと。
カプローニの台詞は全部好きで、萬斎の声で語られると音楽のよう。
でも、これをそのまま二郎に語らせると、映画としては陳腐になってしまうんだろうな。

あくまでも、飛行機の設計に邁進する二郎と仕事仲間とカプローニとの夢の中の出会いが描かれていてこそではあるんだけど、劇場に行くのをパスする要因になりかけた堀辰雄の風立ちぬ的成分にも強く心を動かされていたりもする。
初回は見過ごしてしまったのだけど、2回目見た時に、黒川邸から高原の病院に戻る汽車の中の菜穂子が、背中をまるめて具合が悪そうに座っている姿に胸を衝かれた。
台詞の説明は少ないというか、ほとんどないけど、画面ではいろいろなことを説明しているんだなーと。

ストーリーとかテーマはまったく違うんだけど、「風立ちぬ」は私にとって「ハワーズエンド」と似た読後感?の映画です。
近代史を知らないと面白さがわからないという点では「英国王のスピーチ」とも共通しているんだけど、映像では緻密に描写しつつ説明台詞を極力省いて見る側に委ねるという点においては「ハワーズエンド」だなと。
これは最大の賛辞です。

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2013年7月22日 (月)

風立ちぬ

Le vent se leve, il faut tenter de vivre...

大正時代から戦前までの上流の子弟・子女の立ち居振る舞い、当時のインテリの気風が見ていてとても心地よかった。
フランス語の詩を説明抜きで唐突に引用して会話が成り立ってしまう教養と機知が素敵。
「まことに生きにくい時代」ではあっただろうけど、人の佇まいの美しさというものが存在した時代でもありました。
能力のある人が、自分の能力に適した夢を追い求める話は大好きです。

ストーリー的には実写でも良いと思うけど、絵の美しさはジブリのアニメならではだし、関東大震災と二郎の夢の場面は実写では描けないだろうなと思う。
カプローニとの邂逅がないと二郎の飛行機製作への業みたいなものが表せないだろうから、夢の場面はとても重要。
それから風の描写も実写では雰囲気が出なさそう。
もしもそれでも実写で映像化することがあるのなら、配役は今回の声の出演をした人たちで・・・といっても、二郎役はさすがに無理だろうから筒井道隆か稲垣吾郎あたり(追加で加瀬亮も)。
カプローニは、「のだめ」か「テルマエ」的アプローチで強引に野村萬斎で。
・・・実写で演じるのは無理といっても、庵野秀明の声は二郎のキャラクターに合っていたと思う。穏やかで浮世離れして、そして技術者に聞こえる。
(この映画の二郎の声に批判的な人はトトロの糸井重里も酷評しているようで、糸井重里のお父さんはよく思いついたなーという絶妙なキャスティングだと思っているので、あれを酷評する人がいるのはかなり意外。)
二郎と本庄のやりとりが、あの時代の技術系インテリの会話としてリアリティがあって、中の人は2人とも台詞の技術的な内容を完全に理解して話しているように感じられるのだけど、そういう効果も狙っての配役だとしたらすごいわ。
なお、この映画の本庄を見て、西島秀俊のいつもの抑揚を抑えた台詞まわしは意図的なものなのだと確信しました。

平和主義者なのに飛行機と兵器好きという監督の矛盾と葛藤を表現した映画とも言えるけど、その矛盾と葛藤こみでこの映画は好き。
愛煙家の禁煙の風潮に対する抵抗みたいに思えなくもない喫煙シーンもアニメだから許せる。といっても、結核の人のそばではタバコ我慢しろ~とは思ったけども。

映画の途中からとても涙もろくなって、映画館を出てからも目がウルウルして「何を見ても涙ぐむ」状態。
これが泣かせどころのはっきりしている映画なら「カタルシス効果ですっきり」になるのだけど、淡々と描写されていることで感情がひたひたと静かに水に満たされたような、そんな感じ。で、なかなか水がひかないと。
病身のために結婚をあきらめるのでも二郎にしがみつくのでもなく、自らのタイムリミットと好きな人と過ごしたいという望みのギリギリのラインを模索する菜穂子に、自分で思っていたよりも強く心を掴まれていたようです。

エンディングの「ひこうき雲」でさらに涙が。
荒井由実時代の曲なのに、「この映画のために書き下ろしました」と言われたら信じてしまうくらいに映画とぴったり。
固定なイメージがつかない、広がりのある言葉を選ぶ詞のセンスが素晴らしい。

小学校高学年くらいなら大丈夫だと思うけど、幼児にはこの映画はお勧めしない。
良さがわかるにはある程度の知識を要する映画だと思う。
大正時代から太平洋戦争終戦までの歴史と当時の風俗、結核が死に至る病だったことなど。
トーマス・マンの魔の山もあらすじくらい知っておいたほうが良いかな。
「楽しむには知識が必要」と言うと気を悪くする人がいたりするけど、そういう心理はよくわからない。知らないなら知ればいい、それだけ。
よほどマニアックな知識がないと楽しめないというのは娯楽映画として失格だけど、そこまで特殊な知識ではなく、中学の授業で習うようなことや、ネットで検索できることなら今からでも知ったほうが楽しいのに。

追記:
門前の小僧もしくは習うより慣れろ式に大人の見ているものを理解する子どももいるので、子どもに見せること自体は反対じゃない。映像と音楽の美しさから吸収するものもあるかもしれない。
でも、自宅で寛いで見るならともかく、「外出先+2時間じっとする」という条件では難しいし、子どもにも周囲の観客にも不幸。

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2012年11月 4日 (日)

のぼうの城

大河ドラマ好きとして水攻めの描写に不安を抱きながらも、出演者や題材にひかれての鑑賞。
懸念された水攻めシーンについては、「水攻めって、水圧で攻めるんじゃないんだけどな」とやはり思ってしまったけど、それ以外はとても良かった。
それにもかかわらず、というべきか。
野村萬斎の田楽踊りだけでも一見の価値ありだけど、登場人物はみんなキャラが立っているし、俳優陣は持ち味を出しているし。
バイキングみたいな山口智充と成宮君の掛け合いに、ちょっとギムリとレゴラスみたい、なんて思ったりした。
鈴木保奈美演じる肝の据わった、ズケズケものを良いながら実は優しい城主の奥方が意外と良くて、「江」のお市役は合わなかったけど、こういうキャラクターは合いますね。
役柄って大事。
榮倉奈々も強くて可愛い甲斐姫に合っていた。
ドラマでブレークする前の出演だという芦田愛菜が、黒澤映画みたいな雰囲気を醸しだしていた。
頭師佳孝と二木てるみみたいな。

台詞は現代言葉を多用しているけど、登場人物たちの所作が戦国時代らしいし、現代人の思考や行動パターンが出てこないから、すんなりと物語を楽しめた。
CGやSFXも違和感がなく(←迫力よりもこれが大事)、土嚢を作る場面に埴輪が出てきたりとリアリティあり。
柴崎和泉守のバイキングみたいな鎧と兜、長親のかえる文様の陣羽織など、衣装の意匠(シャレではない)が凝っていて、奥方と甲斐姫の衣装は奇抜さはないけれど質感がしっかりしていて、いろいろとこだわっているなーと思った。

忍城のあった行田市には昔一度行ったことがあって、石田三成が陣取った丸墓山古墳にも登頂(笑)しました。
忘れかけていたけど、自分の行った場所がクローズアップされるってなぜかうれしいものだったりする。

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2012年5月13日 (日)

テルマエ・ロマエ(映画)

映画「テルマエ・ロマエ」を観てきました。

古代ローマ人を演じる濃い顔キャストの違和感の無さは前評判以上。
これまでは阿部寛といえば上田次郎だったけど、これからはルシウスが脳内に定着しそう。
平たい顔族の面々も味があって良かった。
原作の爆笑ポイントはほぼおさえてあったと思う。
欲を言えば日本酒を飲んで「卵にあう」も入れて欲しかったが。

原作にはないヒロイン役の上戸彩も可愛くて、脚本的には「ここはちょっとね」という部分がなきにしもあらずだけど、少なくとも「いなくていい役」ではなかった。いて良かった。
テレビドラマでも思うことだけど、上戸彩ってどんな衣装でも着こなしますね。
古代ローマ、平たい顔族のお風呂の場面ともに細部にこだわりを感じられてマル。
お金をかけたおバカ映画は大好きです。
ただ、おバカ映画というものの、史実の説明はいささか単純化しすぎ。
もう少し原作に準拠しても良かったかなーと思う。

映画のいたるところでイタリアオペラの曲がふんだんに使われていて、古代ローマというよりはイタリアにリスペクトした感じだけど、音響の良い映画館でオペラを聴くのはまた格別。

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2012年2月24日 (金)

セイジ 陸の魚

「セイジ 陸の魚」を鑑賞
またしても、すぐに感想がまとまらない映画だけど、風景が美しく人やモノの質感が印象的。
舞台となるドライブインの備品とかメニューを見るのも楽しい。
西島秀俊の微かな笑顔が素晴らしく、あの表情を引き出しただけでも伊勢谷監督GJ。
アラフォー裕木奈江は可愛いし、森山未來の自然な佇まいも良かった。

登場する場面は少ないのだけど、宮川一郎太の物腰の柔らかさが醸しだす胡散臭さと、珍しく薄幸じゃない奥貫薫が妙にツボだった。

映画のクライマックスで、唐突に思い浮かんだのがレアンダーの「青い目さん」・・・だと思っていたけど正しくは「沼の中のハイノ」(もしくは「沼の中の王子」)という童話でした。
鬼火の女王に捕らわれた王子を救うためにヒロインの「青い目さん」がとる行動がセイジと重なったので。

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2011年10月19日 (水)

違和感なさ過ぎておかしい

映画テルマエ・ロマエ、北村一輝ら顔濃い俳優がローマ人に
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/10/19/036/index.html

ハリウッドも昔は「アラビアのロレンス」のアレック・ギネス(ファイサル王子)みたいな力技を使ったものだし、阿部寛のルシウスには納得しつつも、一体どんなふうになるんだろうと思っていた映画「テルマエロマエ」ですが、写真を見ると驚くほど違和感がなく、あまりの違和感のなさに笑いが止まらない。
変で笑うのは普通だけど、しっくりしすぎておかしいとは。

この中で、市村正親は顔自体が濃い人ではないのに、こんなに似合うって、どれだけ存在感が濃いんだろう。

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2011年3月 4日 (金)

映画 のだめカンタービレ 最終楽章

日本映画専門チャンネルにて「のだめカンタービレ 最終楽章」の前・後編を鑑賞。

テレビ版のヨーロッパSPも前編の千秋メインの話が面白かったけど、映画も同じく。
マルレオケのボロボレロの微妙な下手具合に大爆笑。
変な音が入った時の千秋の反応がいちいち面白くて。
玉木宏のリアクション演技は、間といい表情といい最高です。
マルレの公演の演目を「ウイリアム・テル」から「チャイコフスキー序曲1812年」に変更したのはロケ地のオーストリアへの配慮か。
「ウイリアム・テル」も好きだけど、これはこれで良い選曲。


後編はのだめが音楽家としての心構えを持つまでがメインだけど、実写及び映画である長所と想定された物足りなさの両方を感じた。
映画の尺とか話のバランスを考えれば仕方がないとは思うのだけど、ルイが「経験しなくても感じられる」ということに気づくまでの話、ターニャのコンクール挑戦がカットされていたのは残念。
ヤドヴィカと作曲をする話が微妙に削られていたのも。
このあたりのエピソードは、原作では「のだめに足りないもの」の説明にもなっていたので、これを省くと物語としてちょっと薄くなってしまうかなと。


ところで、映画を見て玉木宏と水川あさみを見直しました。
連続ドラマの時点では、玉木宏の千秋の演技自体には満足していたものの、指揮と楽器演奏に違和感があって不満だった。
テレビのヨーロッパ編でも、カタイラとジャンのほうが指揮が上手かったし。
でも、映画版では指揮する姿がすごくサマになっていて、努力したんだなーと思った。
こういうのって、努力よりも天性のセンスのほうがものをいうと思っていたけど、努力でここまでできるとは。
水川あさみのバイオリンを弾く場面もドラマより良くなっていたと思う。
むしろ、ドラマでは完璧といってよかったのだめの演奏シーンに若干の違和感を感じたりした。
コンチェルトの場面は見事だったけど、課題曲を演奏する場面が音楽と腕の動きが微かにズレていたもんで。
まあ、違和感といっても非常に微細なものなんだけど。

他の映画でもそうだけど、上野樹里は猫背がちょっと玉に瑕だけど、肩甲骨とか鎖骨とかアキレス腱とか、パーツがきれいな人だと思う。
監督はそこをわかっていてきれいに撮っていた。

追記:
この映画における玉木宏と上野樹里の演奏場面の違いは、玉木宏の頭の中では音楽が鳴っているだろうと感じられたけど、上野樹里はそう見えなかったことなんだと思う。


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2011年2月 8日 (火)

白夜行(映画)続き

映画終盤の亮司の表情が忘れがたく、DVDが出るまで待ちきれないので2度目の鑑賞。
亮司=高良健吾の演技は見れば見るほど切ない。
そして映画のストーリー展開をわかったうえで見ると、笹垣=船越英一郎の感情の機微の表現の繊細さと、雪穂=堀北真希の人形のような表情によぎる微かな感情のさしひきが初鑑賞時よりもよくわかった。

最初の事件の捜査で笹垣が子どもたち(亮司と雪穂)に話しかける場面では、笹垣が子どもの警戒を解こうとしつつ、何事も見逃すまいとする様子にリアリティを感じた。
この時点で笹垣は雪穂と亮司を怪しんでいないし、子どもたちも笹垣を警戒していない。
でも、お互いの印象には残っている、という場面だから。

雪穂はあからさまに自分の欲望をむき出しにして、好き勝手なことをやり散らかすタイプの悪女ではなく、見かけは一点の染みもないお嬢さんタイプ。
なので「悪女に見えない」のは正解で、ただし、かといってまったく怪しくないのもNGなのだけど、堀北真希の人形のような無機質な感じの容姿が役にぴったりなだけでなく、そこはかとない陰翳を感じてとても良かった。
特に松浦と会った時、ラストの立ち去る時の表情は凄い。

※というか、見るからに「悪女タイプ」の人に犯罪を成功させることができるのであろうか。
怪しまれて目的を阻止されると思うんだけど。

で、基本的にネタバレ前提のスタンスですが、公開中の映画なのでちょっと下げます。


脚本で具体的に上手いなーと思ったのが亮司の切り絵と雪穂の手芸、それからモールス信号を謎解きに絡めたこと。
切り絵と手芸は原作にも出てくるモチーフで、特に切り絵は重要な役割を果たすけど、映画の「切り絵の図柄から笹垣が真相に辿りつく」という展開は非常に説得力があった。
これなら原作未読であってもおそらく腑に落ちる。
モールス信号は一昔前ならありふれた手段だったけど、今見ると新鮮だし、亮司のキャラクターにも時代背景にもあっている。
小学生がアマチュア無線1級に合格したというのがニュースになったこともあるし、頭の良い亮司と雪穂ならモールス信号を覚えて連絡手段にする、というのは納得がいく。
頭脳犯罪の要素が削られていたのは不満だけど、無線で補完したという見方もできるなと思った。
昭和55年当時はアマチュア無線3級ではなく電信級だったので、そこのところはちょっと甘かったけど、野暮はいうまい。

「真木栗ノ穴」にも感じたけど、深川監督は視覚が人の印象にどう残るかをわかっている人だと思う。
その可能性も限界も含めて。

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2011年1月30日 (日)

白夜行(映画)

監督が深川栄洋ということで映画館に行くことを決めました。
深川監督の「真木栗ノ穴」はスクリーンの隅々まで神経の行き届いた映像だったので、「白夜行」にもそれを期待して。
「川向こう」の殺伐とした家並み、陰鬱な桐原家と広壮で明るい篠原家の対比とか、電話ボックスの変化で20年の移り変わりがわかったり、聖子ちゃんカットやバブルの頃の女性の服など、監督のこだわりを感じた。
「ゼロの焦点」で、昭和30年代の再現に時代考証が必要になったかと思ったけど、昭和50年代も本気で再現しようとすると神経使いそう。

主人公たちの描写は原作に感じたイメージどおり。
堀北真希は雪穂の冷たい美しさに合っているし、亮司役の高良健吾も坦々と犯罪に手を染めながら、時折見せる表情の変化が印象的で、特に最後の不敵な、でも儚げな笑顔には不覚にも涙がでてしまった。
主人公二人の子ども時代を演じた子役たちも良かったです。

主役以外のキャストについては、ドラマに比べてちょっと見劣りするかなと思ったけど、映画を見終わるといずれも納得のいくキャスティングだと思った。
ハンサムで育ちが良くて頭も切れる篠塚一成は、ドラマ版の柏原崇が決定版といってもいいくらいだったので、それに比べると姜暢雄は少し弱いと思ったのだけど、その「弱さ」が映画の設定の変更に活きていた。
一番懐疑的だったのが船越英一郎の笹垣なんだけど、これがまた意外と良かった。
映画の笹垣は、出世コースからは外れた老練な刑事であるとともに、ドラマ版で余貴美子が演じた図書館司書と、八千草薫が演じた唐沢礼子の役割を合わせて担っているようで、そこに「2時間ドラマの帝王」として培った「良い人オーラ」が大きくものをいった、という感じ。
映画の笹垣が亮司に対して示す思い入れは、かなり一方的なものなんだけど、淡々とした描写が続く中で見る側の気持ちをたぐりよせる効果があったんじゃないかと思う。


連続ドラマの時間があれば、事件を丹念に描くことはできるけど、10話にわたって「主人公たちの心理を描かない」という手法は無理がある。
それをやると、全編がほぼ犯罪ドキュメントみたいになってしまうし、お茶の間でドラマを見る層がついていけないだろうというのは素人にも想像できる。
NHKのような4話とか5話構成でも最終話まで引っ張ることは難しそう。
映画の尺なら外縁を描く手法が可能だけど、今度は原作の事件をすべて描こうとすると時間が足りないし、無理矢理詰め込んでは意味がない。

事件と脇役の設定は原作にほぼ忠実に、主人公の2人の「純愛」に焦点をあてて輪郭のなかを埋める形で映像にしたのがドラマ版ならば、原作の雰囲気や外枠のみを描く手法を尊重するために主人公以外の登場人物に変更を加えたり事件を省略して物語を構成したのが映画版。
「一見脈絡なくみえる犯罪の点を結ぶと純愛みたいなものが浮かんでくる」という原作ならではの世界観は、映画のほうが味わえる。


ただ、亮司が手を染める知的犯罪の数々が軒並みカットされていたのはちょっと残念だった。
原作を読んでいると、極めて優秀な頭脳の持ち主でもあった青年が、その能力を犯罪に費やしてしまう徒労感のようなものを感じるのだけど、映画でそのあたりが希薄になってしまったのは惜しいな、と。
亮司が持つダークな魅力は高良健吾の容姿と演技で十二分に伝わったけど。


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追記:
レビューを見ていて、「原作もドラマも未見」か「原作は読んだけどドラマは未見」の人は好きに感想を言ってくれてかまわないと思うけど、「ドラマだけ見てます」という人がドラマを基準に映画を批判するのはちょっと勘弁してほしい。
ドラマはドラマで好きだし、ドラマ単体で評価するのはよいけれど、根幹の部分で原作と大きく違っているのも事実。
「主人公の心理描写を敢えてしない」というのは原作の核ともいえる要素であり、そこを変えてしまっている以上、ドラマ版を「『白夜行』というもの」を語る場合の基準にするのは不適切だと思う。

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