太陽に灼かれて
観てから10日あまりが経ってしまいましたが、舞台「太陽に灼かれて」の感想を。
スターリン粛清下のソ連は陰惨で、これまでは意識的に避けていたため、知っていることはとても断片的。
子どもの頃読んだ少年少女文学全集のレーニンの伝記、中公文庫の世界の歴史、NHKのドキュメンタリー、初期のチャーリー・マフィンシリーズなどから得たソ連時代のロシアの知識とチェーホフの記憶に総動員をかけながらの鑑賞。
鑑賞後、「面白かったー」と発散・昇華するのではなく、心の中になにがしかの思いを抱えて帰途につくような、そんな舞台。
ミーチャ役の成宮君はとにかく端整。
オフホワイトのスーツを身に着けた立ち姿だけで、元貴族階級と感じさせる佇まい。
白いスーツは、以前に戦中・戦後のドラマでも着ていたけど、今のほうが似合っている。
何かを隠しているんだけど、隠していることが露になりすぎないところが良かった。
4年前よりも発声と滑舌、声のコントロールが格段に良くなっていて、正直驚いた。
水野美紀のマルーシャはとにかくきれい。
アクションができるから動きも美しい。
甘えた感じのしゃべり方なのに、ちゃんと台詞が通って聞こえて、舞台向きの声質なんだと思った。
コトフ大佐の鹿賀丈史は初盤は肩の力を抜いた感じで、台詞が聞き取りにくかったけど、終盤の迫力はさすが。
ただ、役としては叩き上げよりはエリートのほうが似合うと思う。
ナージャ役の美山加恋ちゃんは、まさに可憐。
竹内都子のモコヴァがコメディリリーフで良い味出してました。
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スターリン粛清下の話というと、「狭苦しいアパートで肩寄せ合って」という絵が思い浮かんでしまうけど、チェーホフを髣髴とさせるのんびりとしたブルジョワ家庭の生活描写から物語は始まる。
セットがきれいで、川遊びの場面は、ほんとに戸外にいるように思えるくらい。
舞台の冒頭でコトフ大佐は「俺たちは選ぶことができるんだ」と言う。
コトフは心からそう信じていたんだと思う。
この時点では。
そして、ミーチャにも選択肢があったと思っていたし、だから、自分の命令によりミーチャが失ったものの大きさを理解していなかった。
自分の身に粛清の波が及んだことを知るまでは。
中国の文化大革命もそうだけど、多くの人の生死さえも分ける決定が、独裁者の感情で決定され得るシステムが作られてしまうことが恐ろしい。
台詞から、ミーチャはマルーシャよりもかなり年上であることがわかるけど、その年齢差は物語の中で意外と大きな意味を持っているように感じた。
マルーシャの家族(娘と夫以外)は、オペラや文学、ダンスなど、革命で没落する前の価値観で生きている。
ミーチャが成人したのもそういう世界。
でも、マルーシャの場合、革命が起きたのはまだごく若いうちだったから、家族やミーチャほどには古い世界に対する郷愁はない。
だからコトフともうまくいっているし、娘のナージャは革命後の新しい価値観の中で育った子。
そういうことも含めて、ミーチャの喪失感につながっているのかなと思った。
なお、役者の実年齢では、水野美紀は成宮君よりも上だけど、ほとんど違和感がなかった。
舞台だからというのもあるけど、最近のテレビは実年齢を気にしすぎると思う。
だからって、20歳過ぎの女優に10歳の役はどうかと思うけど。
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旅行でフランスの宮殿や城を見に行くと、「フランス革命で破壊されたり略奪されたりしたのを復旧した」という説明に行き当たる。
物理的な破壊があったということは、人も損害を受けているわけで、革命を背景にした物語を見るにつけ、なぜ破壊せずには済まないんだろうと思う。
微調整・微修正でいいのに。
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