カテゴリー「風神の門」の6件の記事

2006年5月16日 (火)

「風神の門」~最終回まで

「風神の門」の最終話を見てしまって、これから2巡目(笑)。
全部見終わってみて、改めて人物と物語の描写が緻密で丁寧に作られていたんだなーと思った。
丁寧といっても、四半世紀も前の作品なので、いかにも「セットですー」というセット、才蔵と佐助が何故かダイナマイト状のものを持っていたり、才蔵が吹き矢で殺したウサギの死体がぬいぐるみ、5月末なのに咲いている花が桔梗と野菊、青子が寝巻の下にTシャツを着ているのが見えてしまった場面もあったり・・・と「あれ?」と思うことがないわけじゃなかった、というか、いろいろあった。
でも、そういう欠点を補ってあまりあるくらいに要所要所がしっかりしていて、演出も工夫されていたので、多少はツッコミを入れつつも最後まで楽しみました。

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2006年5月10日 (水)

伊丹十三の大野修理

伊丹十三って、今はたぶん映画監督として記憶されている向きが多いと思うけれど、私にとってはまずエッセイスト、それから俳優という順で記憶した人だった。
「貧乏はしかたがないけど貧乏くさいのはイヤ」という考え方は伊丹十三に影響されたものだし、パスタをアル・デンテに茹でることもエッセイを読んで知りました。
そして俳優・伊丹十三については「風神の門」の大野修理役で印象づけられたと思う。
製作年度は足利義昭を演じた「国盗り物語」のほうが古いけれど、本放送の時は義昭の印象がなかったので、私にとっては「風神の門」の大野修理の印象のほうが先。
再放送を見逃しているため、「風神の門」は26年前に本放送を一度見たきりなのだけど、最終回の大野修理の台詞と表情は長い間ずっと記憶に残っていた。
26年ぶりに最終回を見て不覚にも涙ぐんでしまった。

大野修理は淀君の側近大蔵卿局の息子で、大坂城の実務責任者なのだけど、これが優柔不断で無能な人物で、主人公の霧隠才蔵などは初対面から嫌いになって以後は小馬鹿にし続けるほど。
真田幸村と初めて対面する場面では、背筋を伸ばしてまっすぐ歩く端整な幸村とせかせかと落ち着きがなく片方の肩を下げた姿勢で廊下をジグザグに歩く大野修理が対照的だった。
足利義昭は「勝ち目のない戦さを仕掛ける」無能さだけど、大野修理の場合は、その優柔不断と判断力の無さで勝機を自らどんどんつぶしていく。
野戦を主張する幸村、後藤又兵衛の意見を退けて籠城に固執したり、又兵衛の作戦を横取りしたり、所司代板倉にだまされて大坂城の堀を全部埋められたりと、もう散々です。
そんな大野修理が落城を目前にした「もはやこれまで」という局面で、妹・隠岐殿の「私はキリシタンなので自害はできない。敵と戦って死にたい」という願いを、母(大蔵卿局)の反対を押し切って許すのだけど、その場面の伊丹十三の演技がほんとうに素晴らしかった。
「おみつ! 良い、行け、兄が許す・・・行け」というこれだけの台詞なのだけれど、その表情と声から万感の思いを感じ取ることができる。

で、ここは演出っていうのかな、それも良いのです。
隠岐殿と大蔵卿局は向き合っているけれど、修理は二人に背中を向けてやりとりを聞いていて、隠岐殿から修理の表情は見えないし、修理にも隠岐殿の顔は見えない。
だから、隠岐殿が「大坂のため、城のために討ち死になされたご牢人達のためにも、みつは戦い抜こうと」と言った時に修理がかすかに表情を変えたことは隠岐殿からは見えないし、大蔵卿局が「死んだのは何も牢人だけではない。牢人牢人と何じゃ、好いたお人でもいたように」と言った時に隠岐殿が一瞬遠い目をするのも修理からは見えない。
二人の表情の変化を見ることができるのはテレビの前の視聴者だけ。
大蔵卿局の言葉は実は図星なのだけど、大蔵卿局は幸村と会ったことはないし「真田丸とは誰じゃ?」と尋ねたことがあるくらいに世事に疎いから、隠岐殿が幸村を好きだということは知らないので、「好いたお人」というのはあくまでも言葉のあや。
修理は「牢人」という言葉に反応して、自身のなにがしかの感慨から隠岐殿の願いを聞き入れるし、隠岐殿も兄の気持ちはわからないまま、ただ感謝の表情を浮かべる、という演出が心にくい。

ところでこれはうろ覚えなのだけど、「風神の門」撮影中に伊丹十三が体調不良~復帰というニュースを見た記憶があって、駿府編にかなり時間を割いたのは伊丹十三待ちだったのかもしれない。
この大野修理に代役なんて考えられないし、かといって修理殿なしで話を進めたら大坂城の堀も埋めないままで歴史が変わってしまいそう。

伊丹十三は、映画「細雪」の「養子の辰雄さん」も良かったです。

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2006年5月 8日 (月)

「風神の門」~衣装編

「風神の門」は、忍び、侍、大名、公家、姫君、侍女、町娘、遊女、盗賊、かぶき者etc.と様々な人たちが登場するけど、その衣装を見るのもなかなか楽しい。
「衣装代に○○千万円」という豪華さはないけれど、着物の色や柄に慶長という時期の独特の雰囲気が感じられた。
変装による大きな変化も楽しいのだけど、TPOにあわせた日常的な変化のつけ方がまた面白かった。

霧隠才蔵は、目的によっては忍び装束はいうまでもなく、三河万歳の衣装を着たり、侍姿になったり、時には女装(これが不気味で)もするけれど、濃い緑色の着物と同じ色の袴(裾には脚絆)、襟と裏地が紅の萌黄色の袖なし羽織が基本スタイル。けっこう派手です。
旅先等でお国と2人でいる時は羽織と脚絆は脱いでも袴は着けたまま、男3人で寝る時や分銅屋で昼寝をする時は袴も脱いで着流しになったりと、シチュエーションや相手によって微妙に変化をつけている。
遊女の梅ケ枝も、遊女屋にいる時、大納言家に参上している時、青子と旅をしている時で衣装が違って、大納言家にいる時に梅ケ枝が着ている明るいオレンジの着物に同系色の半襟の組み合わせはシンプルだけどお洒落。

獅子王院の服装は「膝丈の着物に角帯、足には脚絆」で「あずみ」の男の子たちをこぎれいにした感じなのだけど、帯の結びが小ぶりの文庫(ちょうちょ結びみたいなやつ)になっていた。
その文庫結びを見て「女の子みたい」と思ったのだけど、旅先の旅籠で才蔵が自分で袴を脱いで着流しになる場面でも帯の結び方は小型文庫。
検索してみたら、あれは男性が袴を着る時の「一文字」という結び方だそう。
ほかにも、お国が足袋を脱ぐ場面では足袋がアップになったりしていたけど、この頃の足袋にはコハゼがなかったこともわかって、いろいろ勉強になった。

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2006年4月27日 (木)

才蔵の七変化

騒いでいるわりに「風神の門」の物語に全然触れていないのだけど、かいつまむと「京に出てきた若き伊賀忍者・霧隠才蔵と仲間たちの青春群像劇」といったところ。
物語の背景は、関が原の戦いから12年が経過した慶長17年から約四年間。
徳川家は江戸に幕府を開き、大坂ではまだ豊臣家が勢力を保っていた時期から大坂落城まで。

本放送時は、影のある徳川方忍者・獅子王院が才蔵と人気を二分、もしくは才蔵に優る人気を博していて、磯部勉目当てに俳優座(当時の所属)の舞台を見にいく女性客が増えた、なんていう記事を読んだような気がする。
今でいうと内野聖陽みたいな感じだろうか。所属する劇団は違うけど。
で、青子と獅子王院のサイドストーリーがドラマ「風神の門」を忘れがたくしたことは認めるにやぶさかでなく、私も大好きなのだけど、やはりそれは霧隠才蔵の存在があればこそだと思う。
「陽」の才蔵がいるからこそ、獅子王院の「陰」の部分が引き立ったというか。

型破りな主人公霧隠才蔵を演じているのが三浦浩一で、これはもうキャスティングの大勝利。
「はまり役」って、このためにある言葉かというくらいにはまっている。
存在感と「振り向きざまの笑顔」で「これが霧隠才蔵なんだ」と心から納得できてしまう。
この才蔵さま、やたらと動作が大きいし、大声を出すし、「なにーーっ」「なんだ、それはなんだっ」とリアクションがいちいち大げさだったりと、従来の時代劇の演技とは大きくちがっていて、どこかに「ミュージカルの動き」と書いてあるのを見ておおいに納得。
最初のうちは台詞のタイミングが唐突で、そこが青二才という感じだったけど、物語の後半になると、同じ「なにーっ」という台詞の言い方もこなれてきて、ちょうど才蔵の成長と同期しているよう。
ただ、三浦浩一は決して存在感や勢いだけで演じていたわけではなく、細かい部分に目を向けると、刀の持ち方とか縁側への腰掛け方、座敷への上がり方と座り方などはきちんと「時代劇の動作」をしている。それも演じているという感じがしないくらいに自然に。
動作が自然で違和感がなかったからこそ、あの型破りな演技の新鮮さが引き立ったのだと思う。

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いくさはいやじゃ考

「風神の門」のDVDを大坂冬の陣の和議交渉まで見たところ。
この中で分銅屋の信乃が「いやだな、戦さなんて」つぶやくのも、大納言家の姫・青子が「戦さは良うない」と言うのも、とても自然に感じて共感できるのに、「功名が辻」の「戦さはイヤでござりまするっ」にはなぜあんなにも違和感を感じた(はっきりいうと『むかついた』)のかについて、ちょっと考えてみた。

「風神の門」の物語が始まる慶長17年(1612年)は、いわゆる戦国時代が終結してからおよそ20年が経過していて、あいだに関が原の戦いはあったけれど、非戦闘員が無差別に巻き込まれるという戦いではなかったから、登場人物の多くは「戦争を知らない子どもたち」でもある。
公家の青子はもちろん、信乃も戦乱とは縁がなかっただろうし、彼女たちにとっては多少物騒ではあっても平和が常態で、「大坂冬の陣」は親しい人間が関わりを持つ初めての戦いといえる。
そんな彼女たちが身近な人々を喪うかもしれない状況に臨んで「戦さはイヤ」と思うのは自然な心情。
もちろんそう感じるのは時代背景のためだけでなく、信乃と分銅屋に出入りする面々とのそれまで交流とか、青子と才蔵、青子と獅子王院の紆余曲折がしっかりと描かれていて、キャラクターとしても物語としても破綻がないから共感できるのだと思う。


一方、「功名が辻」の物語が始まった時点は戦国時代真っ只中で、足利将軍家の権威は失墜、群雄割拠で、平和というもののイメージがとても曖昧模糊としていた頃。
戦さで父母を亡くした子どもが戦さに対して「漠然とした」嫌悪を感じていたとしても、それを言葉ではっきりと主張するとなると話は別。「戦さはイヤ」って、平和のありがたみを知っているからこそ出てくる発想だと思うから。
千代はそもそも「戦さじゃない時代」を知らないのだし、父親も地侍なのだから「戦さでどう手柄を立てるか」「どう生き延びるか」を考えることはあっても、一足飛びに「戦さはイヤでござりまする」という思考に至るのは非常に不自然だし短絡的だった。

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2006年4月20日 (木)

「風神の門」~設定と言葉遣い

先日購入した「風神の門」のDVDを見続けている。
今は第18話の「開戦前夜」まで見たところ。
面白いことはもとからわかっていて、だからDVD-BOXを買ったわけだけど、昔見た時よりもはるかに面白く感じている自分がいます。
こんなにも面白いドラマだったのかと、今こうして見られる幸せを噛みしめている毎日です。

おばあちゃん子だったので、祖母に付き合って子どもの頃から時代劇はそれなりに見ていたものの、時代劇ファンではないし、忍者物が好きというわけでもない。
どちらかというと史実に基づいた大河ドラマのほうが好きだし。
原作も司馬遼太郎の作品の中での好きな度合いはそんなに高くない。面白いことは面白いですけどね。
でも、このドラマの「風神の門」はものすごく好きだったし、今も好き。

前にも書いたとおりドラマ版「風神の門」は原作とは設定その他を大きく変えてあって、主人公・霧隠才蔵は原作では「ニヒルな大人の男」なのが「明朗快活な熱血漢の若者」になっている。
だけど原作の底に流れている「時代の香り」みたいなものは厳としてドラマにも感じられるし、設定を大きく変えたとはいっても、「甲賀=主従関係で動く」「伊賀=主従関係をもたない」等、物語の核ともいえる部分は尊重していて、ご都合主義で史実を変えるような暴挙は一切なし。

昔見た時は、ただただ「なんて斬新で面白いんだ」と思ったけど、今見るとただ闇雲に目新しさを狙ったのではなかったんだなと思う。
いうなれば、正統派の時代劇の作り方を知っている人たちが敢えて狙った斬新さ。
弾けるところは弾け、抑制するところは抑制した描き方をしている。
それと、登場人物が皆その立場や性格に合った話し方をし、その人らしいことをしゃべるのも、このドラマの優れたところ。
言葉遣いからだけでも、登場人物の立場、それぞれの関係、気持ちのうえの距離感などがだいたい把握できる。

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