カテゴリー「歴史、歴史小説」の25件の記事

2022年3月18日 (金)

物語ウクライナの歴史とロシアについて

「物語 ウクライナの歴史」を読了。
ネットでKindle版を買おうとして、本棚にあるのを思い出しました。
20年くらい前の本だけど、ウクライナの歴史と周辺諸国との関係がよくわかる。
ルーツでいえばウクライナがルーシー(ロシア)のルーツで、キエフ大公国はビザンチン帝国の影響で文化レベルが高く、11世紀にフランスに嫁いだアンヌ・ド・キエフは当時としては超インテリだったという。
欧州の穀倉地帯で、ウォッカもボルシチに欠かせないビーツもウクライナの名産。
ロシアがウクライナを欲しがる理由もわかるし、過去に酷い目に遭わされてきたウクライナが徹底抗戦する理由もよくわかる。
絶対酷い目に遭うとわかっているのにロシアの要求を受け入れられるわけがない。
ウクライナは譲歩すべきとか言っているコメンテーターは一読するべき。(読んだ結果その意見だったら付ける薬がないが)

そして、並行して自炊済みの「ロシアについて」(司馬遼太郎)を読んでいます。
(こういう時に古い本を気軽に探せるのが電子書籍の良いところ)

「ロシアについて」より

外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲・・・

ソ連崩壊前に書かれたものなのに、30年以上経った今の状況でも当てはまる。

ロシアを漠然と大国と思っていたけど、国内の産業があまり育っていないことを今回知りました。
前述のように攻められているウクライナのほうが「持てる」国。
まさに狩猟民族が豊かな農耕民族を襲うの図。
「エロイカより愛をこめて」でKGBが西側を「帝国主義の犬め」と罵る場面があった。当時からロシアのほうが帝国主義だったが。

侵攻などしなければウクライナの人たちが悲惨な目に遭うこともなかったし、ロシアの人たちだってユニクロやリーバイスを買って、マックでハンバーガーを食べていられたのに。


 

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2021年1月10日 (日)

小説 イタリア・ルネサンス4 再び、ヴェネツィア

塩野七生の最新作、「小説 イタリア・ルネサンス4 再び、ヴェネツィア」を読み終わってしまった・・・。
いきなり4なのは1から3の「緋色のヴェネツィア」「銀色のフィレンツェ」「黄金のローマ」は過去作だからです。
4の「再び、ヴェネツィア」は主人公のマルコ・ダンドロがヴェネツィアの要職に復帰してからの物語。
レパントの海戦までが背景となっていて、ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレットが出てくるのも楽しい。

私は「立派な王国が色あせていくのは二流の共和国が崩壊する時よりもずっと物哀しい」という村上春樹の「駄目になった王国」に出てくる一節を引用することがあるのだけど、レパントの海戦以降のヴェネツィアには一流の共和国の衰退の哀しさを感じる。
合理的なシステムもいつか綻んでしまうのだなと。

それはそれは楽しんで、噛みしめながら読んだのだけど、ちょっと残念だったのが何度か出てきた「取り入っての話」という言葉。
シチュエーションからも文脈からも、これは「折り入っての話」でしょ。
いろいろなメディアで日本語力の低下が見られる昨今だけど、新潮社の校閲がこれを見逃したということに非常に驚いてします。

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2020年3月14日 (土)

王妃マルゴ、完結

萩尾望都の王妃マルゴが完結しました。
ジャック少年の登場には「こう来るか!」と膝を打ちました。
歴史ものなので登場人物の結末はわかっているのだけど、ジャックは実在ではあるけれどフィクションの部分が多いので、行く末が気になってしまった。
ヒロインのマルゴは知性と教養はありながら徹底した恋愛脳で、7巻の右往左往ぶりはかなり愚かしい。でも、だからこそリアリティを感じたりもする。
兄王たちは情緒不安定だし、ギーズ公は政治ではなく宗教のために行動していて、登場人物の中でちゃんと政治をしていたのは母后カトリーヌ・メディシスとナヴァルだけ。
その母后にしても必死でバランスをとろうとしていたけど、何を目指していたのかはわからないまま。
「大きなことばかり言う小さな弟」アランソン公の存在が意外と大きくて、マルゴや母后には軽く扱われているけど軍事的才能があるし、彼の死が三アンリの戦いの火蓋を落とすことになる。
母后がマルゴに対して冷淡な理由は具体的に語られず、心理を掘り下げると面白そうだけど想像の余地を残しているのもまた良かったりする。

7巻と8巻を読む間に佐藤賢一の「ブルボン王朝」を読みました。
カペー朝、ヴァロア朝に比べて、ブルボン朝の王たちはあまりにポピュラーすぎて興味がなかったのだけど、王家となる前のブルボン家についてのくだりが面白かった。

今まで知ることのなかったマルゴの姉たちが出てきたのも興味深かった。
エリザヴェートはオペラの登場人物にもなっているし、みんな劇的。

ギーズ公の母アンナ・デステがルクレツィア・ボルジアの孫で、したがってギーズ公アンリは曾孫なのが塩野七生のルネサンスものを愛読した者としては格別な感慨があります。
アンリエットの夫のヌヴェール公はイザベラ・デステの孫だし、「ルネサンスの女たち」の後日譚として読んでも面白いです。

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2019年6月16日 (日)

時代の香りを伝えてくれた人たち

相次いで好きな人たちの訃報が。

田辺聖子の古典には本当にお世話になりました。
「文車の日記」、「鬼の女房」、「新源氏物語」、「むかしあけぼの」、「隼別王子の叛乱」が特に好き。「舞え舞え蝸牛」と「私本・源氏物語」も。
わかりやすくて、くだけてはいるけど、その時代の雰囲気が感じられる解釈と描写。
昔の人も気持ちは今と変わらないなと感じつつ、決して「現代人」ではないという。
「千すじの黒髪」、「花衣ぬぐやまつわる」などの評伝は、その人物の欠点や悪評などにも触れつつ、常にフラットな視点で、欠点も含めて愛情が感じられる筆致が好きだった。
古典以外では「日毎の美女」が今読んでも笑える。社会的な背景はかなり変化したけれど。


そしてフランコ・ゼッフィレッリ監督。
「ロミオとジュリエット」は何度も映画館に足を運びました。
この映画から中世からルネサンスに興味を持ったことが、塩野七生を読むようになったきっかけにもなった。
もとは、ああいう衣装を身に着けた人たちが生きていた時代が知りたいという、ちょっとミーハーな動機だったのだけど。
古典作品を、本格的ではあるけれど必ずしも原作や歴史に忠実ではない形で映画化したという点で先駆的な監督だったと思う。
「ロミオとジュリエット」にしても「ハムレット」にしても、かなり斬新な描き方だったけれど、それでいて背景となる時代をしっかりと感じられたし、省略はしても改ざんはしない点も好きだった。節度っていうのだろうか。
「ヤング・トスカニーニ」の公開に合わせて開催された「フランコ・ゼッフィレッリの世界」という映画の衣装と絵コンテの展覧会で、ジュリエットの赤いドレスを生で見られたのは貴重な経験でその時の図録は永久保存版。
トゥーランドットが水色のイメージになったのはゼッフィレッリ演出のオペラをテレビで見てからです。
映画上映用に編集した「ナザレのイエス」を劇場で見たけれど、完全版のDVDが出ていた。今は中古のみだけど、再発売してくれないだろうか。

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2019年5月14日 (火)

十字軍物語

十字軍物語を読了。
「ローマ亡き後の地中海世界」と「コンスタンティノープルの陥落」の間の時代が埋まった感じ。
アルスラーンが出てきたりして、「アルスラーン戦記」って十字軍をイスラム側から描いた話(に擬したファンタジー)であることを今更ながら認識。
だからルシタニア側の登場人物の名前がボードワンなのね、とか。

第二次十字軍の資料画像に「キングダム・オブ・ヘヴン」のエドワード・ノートンが。
リドリー・スコットのビジュアル面の時代考証は塩野七生のお眼鏡にかなったのか。
映画を見ていたことは、読みながら登場人物をイメージするのに役立ちました。
バリアン・オブ・イベリンはオーランド・ブルーム、トリポリ伯レーモン三世はジェレミー・アイアンズで。
ルノー・ド・シャティヨンとギィ・ド・リュニジャンはここでも酷かった。

第三次十字軍は英国王リチャード一世大活躍。
ライオンハーテッドの登場。
「英国王室史話」を読んだ時は、ほとんど英国にいなくてまったく政治をしていないし、捕虜になるしで「なんでこんなに人気があるんだ?」と思ったけど、十字軍ではものすごく有能。
塩野七生はその有能ぶりを克明に描いていて、リチャード愛が溢れている。
対して、フランスのルイ9世は内政では評価が高いのに、十字軍物語の中では辛口。サント・シャペルは息を呑む美しさだけども。

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2018年5月 6日 (日)

皇帝フリードリッヒ二世の生涯

文庫化まで待とうと思っていたけれど、まだ十字軍も控えているし、このままではいつ読めるかわからない。
ということで待ちきれずにKindle版を購入。
印刷や製本が要らないのだから、もう少し安くしてくれるとうれしいけど、内容にはたいへん満足しています。
もうね、塩野七生のフリードリッヒ愛が溢れている。
十字軍は文庫化を待つつもりだけど、より一層楽しみになってきた。

英国王室史話を読んでから自分の中でリチャード1世の評価がやや低くなっていたのだけど、塩野七生はわりと好きなのだな、とか、フランスのルイ9世に辛口なのが面白い。

今まで読んだ中世史で何度も名前を見たフリードリッヒ2世だけれど、こうして評伝の形で読むと歴史のつながりがより頭に入ってくる。
法王庁や既得権を守ろうとする人たちとの攻防、数ヶ国語に通じ、大学を創設し、ローマ数字に代えてアラビア数字を導入、数学者を手厚く保護。
中世と言う時代でありながら手紙を駆使して情報戦。
そして無血のエルサレム奪回にわくわく。
無血であるが故に評判が悪かったなんて、本当に時代によって価値観が違うものですね。

ユリウス・カエサルには彫刻とコインがあるし、チェーザレ・ボルジアにも肖像画が残っているけれど、こんなに合理的で近代的な人でありながら、フリードリッヒ2世の写実的な肖像画は残っていないところが中世の人だったのねと思う。

フリードリッヒ2世の死からホーエンシュタウフェン朝の滅亡までのくだりに一抹の寂しさ。
ちょっと武田家滅亡を連想した。
フリードリッヒ2世は信玄というよりは穏やかな信長っていう感じなのだけど。
16歳で斬首されたコンラディン(フリードリッヒの孫)の最期が哀れ。
300年後のベアトリーチェ・チェンチの斬首といい、聖職者は時として俗人よりもずっと血も涙も無い。


宮殿のあったフォッジアには行っていないけれど、パレルモとモンレアーレには15年くらい前に行っている。
本で見たアラブ・ノルマン様式の建物に魅かれて。
まだデジカメではなかったので残っている写真がいまいちなのが残念ですが。
モンレアーレの大聖堂で私の回廊愛が芽生えたと言っても過言ではない。

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2016年2月27日 (土)

この国のかたちを自炊した

先日、NHKスペシャル「司馬遼太郎思索紀行この国のかたち」を見て、そういえば「この国のかたち」を電子化していなかったなーと思って、急遽自炊決行。
「風塵抄」も一緒に。

「この国のかたち」は歴史小説や「街道をゆく」シリーズと違って現在進行形のものだからってことで自炊するのを後回しにしていたけど、もう没後20年だし、これを機会に「20年前の司馬遼太郎の思索」を読み返してみようと思う。


購入する電子書籍はアプリや電子書籍リーダーに依存するのが面白くなく、読むのはアプリでもいいけれどバックアップはPDFで欲しいのです。
お金を出すんだからダウンロードして自分のものにしたい。

電子書籍にならない本もまだまだあるし、紙で読みたい本もあるけれど、断裁→スキャンという物理的な手間をかけず、かつPDFで保管できる方法がそろそろ出てきてもいい頃、と思ってKindle版をPDFにする方法を調べてみた。
EPubにしてコードを追加したりと二手間くらい必要だけど、PDF化は可能であることがわかった。
これなら今後は有料電子書籍の購入も視野に入れてみようと思う。

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2014年9月23日 (火)

ローマ亡き後の地中海世界

塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」がようやく文庫化。
1、2巻で描かれているのは、まさにローマ帝国亡き後、ルネサンスが始まる前までの中世の地中海沿岸を舞台にしたイスラムの海賊とキリスト教国の攻防。
モンタネッリのローマの歴史とイタリアの歴史でも描かれていない時代で、それを塩野七生の描く通史として読めるのがとてもうれしい。
千年前と現代と、同じような争いをしているんだな、と思ったりもしますが。

3、4巻は時代的にはルネサンスになるので、塩野七生の他の著作と重複しているけれど、視点を変えている部分も有るし、地中海をキーワードに一つにまとまっていてわかりやすい。
特にマルタ騎士団のマルタ攻防記は、「ロードス島の攻防」では描かれなかった部分でもあり、戦闘のあまりの熾烈さと、不利な状況ながら果敢に戦いを続けた騎士たちの姿に感動。
読みながら涙目になってしまいました。
騎士団という存在自体は、当時でもルネサンスの人文主義とは相容れなくなっていたし、ヴェネツィアの合理主義のほうが好きだけど、それはそれ。

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「フリードリッヒ二世」が文庫になるのが待ち遠しい。

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2012年10月 8日 (月)

パズルのピース

井上靖の「後白河院」を再読。
摂関家の家司、建春門院の女房、後白河院の腹心、九条兼実と4人の語り手を通して後白河院が語られる。
腹の分からない後白河院の姿が外郭から見えてくるのが面白い。

で、「平清盛」も語り手をリレーさせたらもっと良かったんじゃないかと思ったりした。
出生から忠盛の死までを家貞、忠盛の死から平治の乱までを盛国、平治の乱から平家滅亡までを頼朝、とか。
・・・と注文はありつつ、第37回「殿下乗合事件」~第38回「平家にあらずんば人にあらず」~第39回「兎丸無念」までがパズルのピースがハマるみたいで面白かった。
「殿下乗合事件」の重盛の描き方は、そこだけを見ると重盛が頼りない二代目みたいに見えてしまうけど、たたみかけるように禿(かむろ)を登場させたことで平家のダークサイドと重盛の正当性を暗示。
「平家に~」では禿(かむろ)にスポットを当て、兎丸の悲劇とともに禿(かむろ)の哀れさも描いたのがお見事。
禿(かむろ)って史実かどうかわからないし、登場させなくても全体的な話に支障は来たさない。
平家物語でも出てきたもののいつの間にか自然消滅していた(気がする)。
でも、文字はともかく、ドラマでは登場させる以上は退場させないと視聴者が置いてきぼりになるわけで、兎丸の最期と絡めたことで「こうきたか~」と思ったのです。

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2011年11月 9日 (水)

ローマ人の物語 読了

「ローマ人の物語」を読み終わったので、感想というほどでもないけど、ちょっと覚書。

興隆期から繁栄していた時代まではどこを読んでもわくわくしたけど、衰亡期に入るとちょっとほろにが。
興隆期で印象的だったのはティベリウスとクラウディウス。
ティベリウスの項を読んでから、政治家については「何を言ったか」よりも「何をしたか」で見るようになったかもしれない。
まあ、「何を言ったか」が重要なこともありますが。
クラウディウスはアグリッピナの尻に敷かれた挙句に殺された人という認識だったけど、ちゃんと仕事をした人だったんだなと。

そして衰亡期に入ってから印象的だったのがユリアヌスとスティリコ。
誰よりもローマ人らしい人でありながら、生粋のローマ人でなかったがために死を選ぶことになったスティリコが切ない。
歯切れよくバッサバッサと斬りまくる塩野七生も好きだけど、報われない有能な人物を描く時に見せる哀惜の念も好きです。
カリグラやネロにも意外と公平で優しかったし。

教会や大聖堂巡りはヨーロッパ旅行の楽しみの一つだけど、キリスト教を国教としたことがローマを衰退させたと思うと複雑。
そして最終巻、古代ローマの滅亡をダメ押ししたのが、蛮族ではなくて東ローマ帝国だったのは意外というか皮肉というか。
「ローマ亡き後の地中海世界」はいつ文庫になるのだろうか。

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私が読み始めたのは2002年の文庫版刊行からで、それだって足かけ9年だけど、ハードカバーの第一巻が出てからは19年にもなるのですね。
「ローマは一日にして成らず」から「勝者の混迷」までを猛スピードで読破した友人に「・・・次に文庫が出るの再来年だよ?」と言ったら、愕然としていたのも今は懐かしい思い出。

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