カテゴリー「ライ麦畑でつぶやいて」の12件の記事

2022年2月19日 (土)

「愛のムチ」とは、殴る側だけが使う言葉である

北京五輪・フィギュアスケート女子シングルFS、ワリエワ選手演技後のトゥトベリーゼの叱責が物議を醸していることについて。

コーチの言葉の意図を「どんな状況でもベストを尽くせ」と善意に解釈して擁護している人がいるけど、無理があるってものです。
「愛のムチ」という解釈も同じく。

それと、コーチの言動を批判する人は「厳しいコーチング」を否定しているわけじゃないですよ。
時によっては厳しくすることが愛情の場合もあるけど、今回は違うということ。
本人が禁止薬物の摂取を自覚しているのなら速やかに出場辞退すべきだったし、本人が関与していないのなら周囲が矢面に立たないように配慮すべきだった。
それもしないで叱責はないだろうということ。


ワリエワのドーピング問題 ロシア国内では根強い欧米の陰謀論
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f878990f5a2bc486d1742e4b0551f44a38df0bd
「人は自分の鏡」みたいな話。

採点方式等で駆け引きみたいなのはあると思うけど、ロシア以外の国は日本も含めてそんなにガツガツしていない。
以前にアメリカのフィギュアの金メダリストOBのセレモニーを見たけど、医師とか弁護士、会社経営者が多くてセカンドキャリアがしっかりしている印象。
フィギュアスケートに関しては、アメリカの優先順位は「教育>スケート技術>ジャンプ」で健全だと思う。
個人レベルとか、他のスポーツのことは知らんけど。


バッハ会長、選手の年齢制限引き上げ示唆
https://news.yahoo.co.jp/articles/5db6cf57047598866233f77eb0decd6d283e94f4

ドーピング問題の根本的な解決にはならないけど、ドーピング保護規定と出場資格の乖離は解消できるし、「子どもに薬物を使ってトレーニングをしてジャンプを跳ばせても五輪に出られないよ」という牽制にはなるかな。

【北京冬季五輪】 IOC会長、「ぞっとした」 ワリエワへのコーチ陣の対応に(BBC News) - Yahoo!ニュース
これについては同意。
ただ、これほど選手に対して思いやりがあるのなら、東京五輪も酷暑の夏ではなく10月にする配慮が欲しかった。

トゥトベリーゼコーチについて、リプニツカヤ・メドベージェワまでは厳しいけど優秀なコーチなんだなという感想しかなかったけど、ザギトワの得点が1.1倍になるプログラム後半にジャンプ固め打ち戦略が成功してしまったことで、何かタガが外れたんじゃないかと思った。
この戦略の先駆者は安藤美姫だったけど、「グリーグのピアノ協奏曲」はプログラムのバランスには配慮していた。
ザギトワの「ドン・キホーテ」はそこを度外視した美意識の欠片もないプログラムだったから、「これを選手に滑らせるコーチって、勝つことしか考えていないんだ」と感じたのでした。

ところで、ドーピングの報道が出る前、競技年齢の若年化に町田樹が警鐘を鳴らしていた。

【町田樹解説】フィギュア競技年齢の若年化に危機感「選手人生が長く続かぬ競技に希望ない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5ea7089eee4e7bb756e2b30527f70741fe47b99

ドーピング問題と選手の若年化は直接関係はないけど、今回いろいろ紛糾したのは16歳以下の保護規定があるが故だし、長く選手でいようと思えば(いさせようと思えば)薬物の摂取はしないしさせないと思う。

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2018年5月 5日 (土)

弱者と強者

TOKIO山口達也の件
進退についてTOKIOのメンバーが会見しているのが不思議。
なぜ連帯責任?
これが「バンド結成してアマチュアである程度活動した後に事務所と契約」という形態だったら、まだわからなくもないけど、ジャニーズって「Youたち、バンドやりなよ」でしょ。
先ず個々がジャニーズ事務所と契約→グループ結成なのだから、管理責任は事務所にある。
所属タレントに会見させるくらいなら社長とか会長とか専務とかを出せよと。
というか、事務所の幹部が出てこずにメンバー同士に決定権があるのならSMAPの騒動だってなかったわけで。
経営陣が会見も出来ないほどの高齢だというのなら、会見できる誰かに交替すべきだと思う。


そして加害者が悪いのは大前提として、被害に遭った女子高生がどういう経緯でその場に行くことになったのかも気になります。
これが昼間だったら趣味の話(ダイビングとか)にでも興味があったのかと思うし、誘うほうも誘われるほうも軽い気持ちで参加したのだろうと思うけど、夜8時というのは微妙な時間。
高校生の門限というには早くて、まだ外に出ている時間ではある。
でも、未成年が他所の家に遊びに行く時間として適当かというと、そうとは言いがたい。
塾やコンビニ、日頃から親しくしている友人宅ならOKだけど、初めての家なら遠慮もしくは躊躇する時間だと思う。
高校生の親たちはそれを把握していたのか。
事務所は?
その場に行くこと自体を断れない状況だとしたらパワハラとか、周囲の大人は何をしてたんだという話になるし、そうではなく好奇心からだとしたら、「もっと自分を大事にしなさいよ」という話になる。
どういう意図にせよ誘った側が大人げないことは言うまでも無いこととして。

女子高生って社会的には未成年で保護の対象だけど、大人の世界に興味津々で背伸びをしたい盛り。
そして生物学的には妊娠・出産も可能というか、おそらく最も適しているという複雑な時期。
淫行で成人男性を社会的に抹殺しかねない力を持つ一方で、ひとたび妊娠すると学業を継続することも難しくなるという、強者にも弱者にもなり得る存在。
それなのに身の回りにある危険に対してあまりにも無防備すぎる。

46歳の成人男性の自制心が欠けた行為は非難されて然るべきだけど、自制心の欠けた大人なんて世の中にうようよいるし、他人の自制心に期待しても身は守れないわけです。
自分の身は自分で守ることも覚えないと。
傷ついた後でやり直せる仕組みも必要だけど、まずは転ばぬ先の杖から。

それと、被害を他人が軽く扱うのは原則的にはあってはならないのだけど、「たいしたことない」ことにしておくほうが良い場合もある。
心無い人たちに傷つけられないためにも。
反省や予防策の議論はそっちのけなのに、キャスターが深刻そうに「被害者の心を思うと」等と言うのを見ると、なんか違うと思うのです。

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2018年4月 1日 (日)

戻ってくるために離れることが必要

すこし前になりますが、日曜日の未来モンスターと情熱大陸の内容がフィギュアスケート関連で、これがどちらも面白かった。

「情熱大陸」の濱田美栄コーチの「努力は必ず報われるけど、正しい努力でないと報われない」とか「最初から自己主張する子は伸びない」というのは頷ける言葉。
ずっと自分に従えではないのですね。でも、最初は素直に聞けよと。

本田真凜の遠征先に帯同した濱田コーチがなにかと宮原知子の話題を出していて、本田真凜が複雑そうな表情をしていて、他の選手の話題ばかりで面白くない気持ちもわからないではないけど、選手のほうも今一つコーチに心を開いていないように見えて、ちょっとどっちもどっちな印象。
宇野と樋口コーチのような二人三脚でも、羽生とオーサーのように自分の意見を言い合う関係でもない。
宮原は無口ながらも、コーチに対して打ち解けている感じが見えたけど、本田真凜とコーチには距離が感じられた。

その本田真凜は今季から米国拠点にするとのこと。
彼女の場合これといった大きな欠点があるわけではなく、芸術家肌という濱田コーチの評には反して、彼女に欠けているのは芸術的なこだわりだと思う。
ストーリーを知らないで(知ろうとしないで)ロミオとジュリエットを演じようとするのは芸術家でもなんでもない。
で、それって、演技を深めるために「SAYURI」の原書を読む宮原とか、台本や脚本を読んで演出家の指示を汲んで演技することを求められる妹から学べることだったりする。

宮原は「こつこつ努力する」というイメージで語られるけど、宮原のほうがずっと「芸術家」だと思う。
町田樹の求道心に通じるというか。
大体、芸術家には根気も必要で、気まぐれだったり気分やばかりだったら作品を完成できないし。
それと、練習量が多いこと自体ではなく、課題を見出せることが宮原の凄さだと思う。

でもまあ、外国へ行くというのは心に期するところがあるのだろうし、離れたところからみることで身近にいた人の優れた点を認識できるようになるかもしれない。


そして「未来モンスター」。
住吉りをんは荒川静香のショーで見たことのある選手。
上品で華やかなくるみ割り人形が好印象だった。
怪我で調子を崩しているみたいだけど、乗り切って欲しい。
メモ帳に自己分析を書いていて、同じコーチ門下の樋口新葉もツイッターとか言葉で自分を鼓舞するタイプだけど、そういう指導方針なのかな。
中高生くらいの子たちに自分の気持ちや状況を言語化する習慣をつけさせるのは教育的見地からもとても良いことだと思う。
ただ、試合前のメンタル強化には特効薬とはいえないかもしれないけど。

坂本花織のコーチが演技前の坂本を笑わることで緊張をほぐしていて、良い方法だと思う。
五輪団体戦は笑うところまで気持ちがほぐれなかったから、常にうまくいくわけではないけれど。

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2010年12月12日 (日)

気持ちと言葉と家族

GPFの男子の優勝者パトリック・チャンの演技を見るにつけ、スケーティングは文句なしに美しく、体で表現する技術は高いのに、退屈だなーと感じてしまう。
2008年くらいまでの浅田選手の演技についても同じような感想を持っていて、叙情性はともかく技術は高いと思っていたので、滑る姿勢やスケーティングなどを見直しているという今の事態は、非ファンとしてもかなり意外。
自身の不調について「気持ちの問題」とコメントしているとのことで、元々身体能力は高い選手のことで(基本どおりではなくても)難しいことが出来ていたわけだから、気持ちの問題といえばそうなのかもしれない。
ただ、彼女の語彙の乏しさや「愛の夢」に犬を持ち出すイメージの貧困さを見るに、「気持ちというもの」をどのくらい理解しているのかはなはだ疑問だったりもする。
もしも不調の原因が本当に気持ちの問題なのなら、彼女に必要なのはスケートの練習よりも自分の思考や感情を分析し、的確に言語化する訓練ということになるし。

言葉だけでは伝えられないことはあるし、言葉がすべてではないけれど、自分の気持ちを言い表す語彙を知っているといないとでは気持ちのありようは違ってくる。
自分の気持ちをうまく言葉にできないともどかしいし、ぴったりはまる言葉を見つけた時は咽喉のつかえがとれたような気になったりもする。
逆に、言語化しないでいると失われてしまうものもあるし。

「ウォーター」を理解する前のヘレン・ケラーにも人間らしい感情がなかったわけじゃないだろうけど、言葉の理解なしには自分の感情を伝えることができなかったわけだから。

大河ドラマ「花の乱」がドラマとしてはいまひとつの印象だったものの、萬屋錦之介と対峙した場面で迫力負けしなかった野村萬斎の存在感は大いに目を惹かれたものだった。
で、同じ狂言師ということで「北条時宗」の和泉元彌もそれなりに期待感を抱いて見始めたけれど、演技の下手さに失望して脱落。
どこを下手と思ったかというと、「困った場面で困った顔をする」という引き出しのなさだったのだけど、それは演技以前に感情表現の引き出しが少なかったせいなんじゃないかと思う。
今にして思うと。
和泉元彌というと当時は結婚前で母親と姉がもれなく付き添っていて、ちょうど浅田選手と似たような状況だったし、師匠につかずに自主練習というのも共通点。
肉親以外との接点があまりに少ないと、感情の引き出しが乏しくなるものなのかなーと思ったりする。
たった2人、というか2家族の例ではあるけれど、他にそういう家族をみないし。

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2009年10月26日 (月)

やっぱり急がばまわれ

浅田選手の3Aがやたらと取り沙汰されるのは、例によってマスゴミが勝手に騒いでいるのかと思ったら、会見で選手が自ら口にしていたのでちょっと意外だった。
こだわっていたのは本人だったのか。

自分を見失って大技に頼るという点では4年前の安藤美姫とかぶるけど、選手の矜持というのもあるんだろうから、大技を持っている選手が大舞台で跳びたいと思うのはわからないでもない。
でも今はまだ五輪代表の選考段階。
ロシア杯は安全策をとっても2位は確保できただろうし、フランス杯の2位という結果と合わせれば、高確率でGPFへの出場権を手中にすることができたはず、というのが一般的な見方だと思う。
練習では絶好調だったというならともかく、練習から調子が上がらない状態で3A3回という賭けをする無意味さは素人にもわかる。
3A以外のジャンプも崩れていたし、安全策をとらなかったのではなく「とれなかった」という解釈も成り立つけど、そのあたりのことは報道されないんだな。
他の選手に対しては歯切れの良い荒川静香の解説が、彼女の演技の時だけ奥歯に物が挟まったみたいな言い方になったりと、みんな腫れ物に触っているみたい。

それと、トリノ前の報道の過熱ぶりと、その後に安藤が受けたバッシングを目のあたりにしたら「同じ轍は踏むまい」と考えるのが当然だと思うのに、周辺も本人も、これまで一切そういうことを配慮した様子が見られないのも不可解。
むしろ、CM、テレビ出演、必要性のない会見、曲の公開録音etc.と、積極的にマスゴミに話題を提供して騒ぎを煽ってきたようにさえ見える。
失敗した時の反動をまるで考えていないようで、「4回転とトリプルアクセルは違うからー」とでも思っているんだとしたら愚かなことである。

それから、コーチ変更が是か非かはともかくとして、今回の結果をタラソワのせいにするのは筋が違う。
トリノ五輪後、荒川静香がコーチをタラソワからモロゾフに変更した経緯と理由は繰り返し報じられていたから、タラソワに師事することのデメリットは周知の事実であったはず。
それをカバーすべく手を打たなかったのは選手側の失策。
だいたい、誰をコーチにするか以前に、他の有力選手はコーチがつきっきりで仕上げてきているのに、母親がコーチ代わりの自主練習という体制は、あまりにもお粗末。

スケートファン(一部熱狂的な人たちは除く)が「まず自身が納得できる演技をしてほしい」と、真摯な助言や苦言を掲示板やブログに載せているのを見るけれど、はたして当の本人に「納得できる演技」という概念があるのか疑問。
世界選手権で優勝した後の態度などを見ると、演技内容よりも結果重視みたいだし。
トリプルアクセルに頑なにこだわるのも、負けず嫌いな性格というよりも、「多角的に物事を見る」、「柔軟に思考する」といった訓練ができていないせいに思える。

これまでの4年間の経緯を見ていると、目の前の試合を勝つためにベストメンバーで臨み、バックアップの育成を怠ったジーコに重なる。

個人的な好みはともかく、ポテンシャルの高さは疑うべくもないから、専任のコーチについて他の選手と同様の練習体制をとることができれば復活はあると思う。
ただ、それには本人と保護者の意識が一番のネックになるだろうし、そこを解決できないから現状があるんだろうけど。


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追記:
帰国会見の「百発百中」発言に驚き、それがロシア杯でプルシェンコの演技に刺激を受けての言葉と知って、あまりの短絡思考に唖然とした。
しかも、サポート体制には変更なしとのこと。
いえ、プルシェンコのジャンプを見て「私も頑張ろう」と思うのは良いと思うんですよ。
ただ、そういう場合、普通は「頑張るために何が必要か」、「自分に足りないものは何か」等を真剣に考えるものだけど、そこのところがすっぽり抜けて、練習すればできると思っているらしいことに愕然としてしまう。
そうかといって、国別選手権からここまでの流れを見るに、マスゴミに向けては強気の発言をしておいて、密かに対策を講じる、というような芸当はできないし、しなさそう。

FSの「鐘」はピアノバージョンのほうが良いと思う。
もともとピアノ曲なのだし、ピアノのほうが重苦しさがなく観客も曲をとらえやすい。
公開録音などしてしまったから変えるに変えられないんだろうけど、なぜ、オーケストラにしてしまったんだろう。

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2008年10月 6日 (月)

リセットのハードル

留学仲介業者の経営破綻の件、「業者が悪い」というのは言うまでもないですが、それはそれとして、バブルが崩壊してずいぶん経つのに、いまだに「語学留学」を志す人がいる・・・というか増えているのに驚いた。
ブラッシュアップ症候群(今は青い鳥症候群?)とか批判もあったのに。

留学自体も、そのために会社を辞めることも、昔はもっとハードルが高かったけど、ワーキングホリデーとか語学留学という名目がずいぶんと低くしてしまった気がする。
正規の留学は狭き門だし、何か目的があるわけでもなく、ただ遊びに行くだけでは会社を辞めるところまでは決心がつかないのを「語学留学」という口実が出来たためにあっさりやめてしまった人も少なくないんじゃないかなー、と。
仲介業者・代行業者によって手続きが簡単になり、さらにハードルは下がったわけで。
ハードルが低くなるというのは一見良いことのように思えるけど、簡単に人生を左右しかねない決断をしてしまう人が増えてしまったようにも思う。
罪なことである。


ネットの普及で旅行の手配が楽になったことなどは本当にありがたいし、便利になるのは基本的には進歩であり、良いことです。
でも、こと私費留学に関してはハードルが高いくらいでちょうど良いんじゃないかと思う。
ほんとに留学したい人はそれでもなんとか行くんだろうし、手続きの煩雑さであきらめるのならそれまでのこと。
「海外に行って見聞を広める」のだったら旅行でじゅうぶんだし。


留学でも転職でも、本来は自分のキャリアの上にさらに積み上げていくものなのに、いわゆる「青い鳥症候群」の人って、いちいちリセットしてしまうんですね。
だから、いつもゼロからのスタート。
それと、コミュニケーションツールとしての語学は多少の努力でなんとかなるけど、それを仕事の武器にしようということになるとプラスαが必要・・・ということは、幾度となく語られていることだと思うのに、語学留学を志す人の耳には入らないらしいのが不思議。
語学以外に目的がある場合は別として、数ヶ月の語学研修で得られるものは知れているし、リセットと引き換えに得るものは少ないと思うのだけど。

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「カナダの人と友だちになりたくてカナダに行ったのに、語学学校はカナダの人がいないんだもん」
「そうだね、カナダの人は語学学校に英語習いにいかないよね」
語学留学した子が半年の予定を一ヵ月半で切り上げて帰国した時の会話。

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2008年9月14日 (日)

リトルマン・テイト

映画「リトルマン・テイト」をDVDにて鑑賞。
ずっと前に観た映画で、いずれDVDを入手しようと思っていたのを先延ばししていたのを、このたび購入に踏み切りました。

「リトルマン・テイト」の主人公はフレッド・テイトという7歳の少年で、生後数ヶ月で文字を理解し4歳で詩を書いた天才児。
フレッドは友だちが欲しいのだけど、あまりに頭が良すぎるため学校では孤独。
異質な存在を排除する子どもたちのイノセントな残酷さの描写もなかなか鋭い。
(フレッドが得意なのがスポーツの分野だったら子どもたちの反応が少しは違ったのかもしれないけど。)
フレッドの母ディーディーはシングル・マザーの酒場のウェイトレス。
息子を何にも代えがたく愛しているのだけれど、普通の幸せを願うあまり、英才教育施設からの勧誘を断ったり、フレッドが天才少年たちの本を読んでいると「それ、自慢話の本なの?」と小馬鹿にしたりと、天才であるが故の息子の孤独にはなかなか思いが及ばない。
でも、普通の学校では息子に友だちができないことを知り、天才児を集めたツアーに参加させる決心をする。
そのツアーで、フレッドは始めて知識欲を満たすことができ、友だちといえる仲間にも出会う。

ツアーの後、英才教育施設の経営者ジェーンは、それまで見てきた生意気な天才児たちとは違うフレッドの繊細さに惹かれて、ひと夏を自分の家から大学に通うこと、その後も自分の学院に入学させることを申し出る。
「フレッドにはふさわしい環境が必要。私ならそれを与えてやれる」と。
ディーディーは心ならずも息子のために申し出を受けることにする。

ジェーンの家から大学に通い始めたフレッドは大学の授業に充足感を味わうけれど、はるかに年上の大学生たちの間でやはり一人ぼっち。
知能は大人以上でも感情面はまだ子どもだから、怖い夢を見たりすると母が恋しくなってしまう。
フレッドと暮らすうちにジェーンは母性に目覚める(ダイアン・ウィーストの演技がイイ)けれど、そこはニワカ母親の哀しさで、幼い子どもをどう扱っていいのかがわからず、思うようになぐさめてはもらえない。
そんな紆余曲折を経て、フレッドには本当の母の愛情と能力に適した環境の両方が必要であることを「二人の母」が理解し、協力しあうようになる。

映画の中で一番好きなのが、フレッドがちょっと反抗的な大学生エディ(ハリー・コニックJr)と仲良くなるくだり。
フレッドは子どもの常として毎日遊べると思ってしまうのだけど、エディにはエディの生活があるので「毎日は勘弁してくれ」と言われてしまう。
「お前は子どもでオレは大人。その違いをわかれ」と言われたフレッドの表情が切ない。
頭ではエディの言うことが理解出来ている、でも気持ちは悲しくてしかたがないんだよね、と身につまされてしまった。
こういうことは、とりたてて天才でなくても、大人の中に立ち混じっている子どもにはありがちなことなので。

フレッドは飢餓や戦争のニュースを見て、心を痛めるあまり胃潰瘍になってしまうのだけど、普通の7歳の子どもはニュースを理解できないから、そういうことで心を痛めることはないし、ニュースを理解できるようになる頃には感情をコントロールできるようになるから、やはり胃潰瘍になったりはしない。
天才で優しいというのは、なかなか苦労が多いものです。
(二ノ宮知子の漫画に出てくる天才がみんなちょっと性格が悪いのはリアリティがある)

この映画の監督はジョディ・フォスターで初監督作品。
物語も良かったけれど、フレッドとディーディーが住む部屋のインテリアとかも洒落ているし、音楽も素敵。
久しぶりに観て、監督ジョディ・フォスターのセンスの良さを感じました。
それと、ジョディ・フォスターの演技を褒めるのも今更だけど、やっぱり上手いわ。


ところで、「リトルマン・テイト」を思い出したきっかけが週刊文春9月18日号の「早期教育が子供の脳を破壊する」という記事でした。
あまりに幼いうちから早期教育をしたことで子どもに弊害がでている、という内容。
記事の中で取り上げられていたのはフラッシュカードという単語カードで2歳くらいから暗記力を身につけさせようとするものだったけど、他にも0歳から英会話の教材を見せているとんでもない例もあるとか。
ピアノやバレエのように早くから始めたかどうかで差が出るジャンルもあるし、情操教育ならば早く始めることに意味はあると思う。
きれいなものを見せるとか、きれいな音を聴かせるとか。
でも、英会話とか暗記力って、そりゃ違うでしょ。
赤ちゃんの吸収力はすごいけど、それはコミュニケーション能力とか、情緒とか、生きていくために必要かつ基本的なことを学ぶため。
そんな大切な時期に子どもの脳に負荷をかけたら、そりゃ弊害も出るだろう。
本当に能力があるのなら、単語カードなど使わずとも身近にあるもので文字を覚えるでしょ。

こういうことを商売にする輩も許せないけど、自分の子のキャパシティがわからない母親、自分の行為が赤ちゃんにとってどれほどの負荷になるのかが感じ取れない鈍感な母親が少なからず存在することが情けない。

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)


記事に載っていた早期教育の実態と「リトルマン・テイト」のフレッドは、いうなれば対極にあるともいえるのだけれど、幼いうちから無理矢理知識を詰め込まれることも、天才なのに自分のレベルに合わない環境におかれることも、どちらも不幸なことだと思う。

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2008年6月 1日 (日)

モノンクル~伊丹十三

日本映画専門チャンネルで「13の顔を持つ男 -伊丹十三の軌跡-」を見た。
伊丹十三が多才な人だということは知っているつもりだったけど、思っていたよりも遥かに多才で、
かつ、一つ一つを極めた人だったことを知る。
子ども時代に描いた絵を見て、その類稀な観察眼と表現力には感じ入った。
そして、今のテレビのドキュメンタリーの手法は伊丹十三に負う部分も多かったのですね。

伊丹十三は、エッセイスト、俳優の順にその存在を認識して、「パスタをアルデンテで茹でる」ということを著書で知った、ということは以前にも書いたことがあるけれど、私にとっては「物知りで、わけ知りでハイカラな親戚のおじさん」のような存在だった。
もちろん精神的に、ってことですが。

子どもには、こういう「おじさん」的存在が必要なんじゃないか、と思ったりする。
たとえば「あ・うん」の父の旧友門倉とか、「更級日記」の主人公に「まめまめしきものはまさかりなん」といって「源氏物語」を贈るおばさんのような、生活に彩を添えてくれる人が。

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2008年3月31日 (月)

表現力という迷路~急がばまわれ

今季のフィギュアスケートはスカパーのJSportsを契約して見ました。
若干痛い出費ではあるのだけれど、その価値はあったと思う。
男子・女子とも実況・解説ともに落ち着いていて非常に心地よく競技を堪能できた。
女子の村主千香も良かったけれど、男子シングルの樋口豊・田村岳斗両氏の解説も素晴らしい。
まあ、地上波も、問題なのは実況のアナウンサーであって、解説に特に不満はないんですが。

男子の最終グループを録画で見直したのだけど、ともに不調だったランビエールと高橋大輔の演技にちょっと思うところがありました。
ランビエールはジャンプがことごとく決まらなくて高橋以上に不調だったし、表情が映し出されると「調子悪いんだなー」とわかる浮かない顔をしていて、演技全体にも元気がなかったけれど、一つ一つの振り付けの「型」が決まっていて、そこはとても美しかった。
なんていうか、振り付けのための手足の動きは無意識にできているんじゃないかと思うくらい。
高橋大輔に足りないものがあるとしたら、そこではないかと思う。
気持ちが乗っている時はほんとうに素晴らしい表現をするけれど、まだ、気持ちが乗っていないと動きの型が決まらないように思うので。
強化部長が高橋大輔について「確実な四回転を2回」と発言をしているけど、どんな選手でもジャンプの出来は好不調の波があるわけです。
それよりも「不調な時にジャンプ以外の演技の質をどこまでキープできるか」のほうが課題なのではないかと思ったりした。
能力の下限を底上げする、とでもいうか。
スケートに限ったことではないけれど、日本はとかくピークの時の力で能力を推し量る傾向があるけど、それよりも「やや不調」くらいの時にどこまで出来るか、のほうがモノを言うことが多い気がする。世界では。

と、つらつら述べてきたけれど、ほとんどの選手は「表現したいなにか」を内に有していて、表現力がそれに追いつかないために、それぞれレベルは違えども「表現力の向上」はすなわち「表現する技術の研鑽」を意味することになる、と思う。
これはスケートに限らず、表現すること全般にいえることだけど。

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2008年2月27日 (水)

保護者の義務とか

以下、競技ではなく教育問題的見地による興味なのですが。

浅田真央選手がコーチ解任及び拠点を日本に戻すとのニュース。
http://www.nikkansports.com/sports/p-sp-tp0-20080227-327931.html
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2008022702090794.html
コーチ解任の是非はともかく、日本に戻るという決断は本人のために良かったと思う。
周囲の大人もひっくるめたパッケージとしての「浅田真央」には不自然さを感じるので(控えめにいって)好きじゃないけれど、一人の17歳の女の子として見ると気の毒な状態だと思っていた。
優秀なスポーツ選手が学業より競技生活を優先するのはよくあることだし、ある程度はそういうことも許容されていいと思うのです。
でも、彼女の場合、極端というか、他の部分の犠牲があまりにも大きく思える。
どうやら語学習得が得手ではないんだろうし、物事への好奇心も薄そうだし。
(いずれも2年近くアメリカにいながら英語が上達しなかったことから判断。)
そういうタイプの子を同年代の友人や母国語の情報から引き離して長期にわたって海外で生活させたのは非常に酷だった。
言葉ができないということは情報も入ってこないということだから。

卓球の福原愛が大学を休学するかどうかで騒がれていたけど、彼女みたいにインタビューの受け答えがしっかりしていて、短期間で中国語を習得できるようなタイプなら、今学校に行くことにこだわらなくてもいいと思う。
学習能力も意欲もあるわけだから後になってから学ぶことができるし、黙っていても自分に必要な情報収集はするだろうし。
ハニカミ王子こと石川遼も同じく。
彼らの親たちがはたして「良い親」なのかという点については些か疑問もありますが、子どもたちは標準よりは上の社会的なスキルが身についている、ということはいえると思う。

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