カテゴリー「ライ麦畑でつぶやいて」の9件の記事

2010年12月12日 (日)

気持ちと言葉と家族

GPFの男子の優勝者パトリック・チャンの演技を見るにつけ、スケーティングは文句なしに美しく、体で表現する技術は高いのに、退屈だなーと感じてしまう。
2008年くらいまでの浅田選手の演技についても同じような感想を持っていて、叙情性はともかく技術は高いと思っていたので、滑る姿勢やスケーティングなどを見直しているという今の事態は、非ファンとしてもかなり意外。
自身の不調について「気持ちの問題」とコメントしているとのことで、元々身体能力は高い選手のことで(基本どおりではなくても)難しいことが出来ていたわけだから、気持ちの問題といえばそうなのかもしれない。
ただ、彼女の語彙の乏しさや「愛の夢」に犬を持ち出すイメージの貧困さを見るに、「気持ちというもの」をどのくらい理解しているのかはなはだ疑問だったりもする。
もしも不調の原因が本当に気持ちの問題なのなら、彼女に必要なのはスケートの練習よりも自分の思考や感情を分析し、的確に言語化する訓練ということになるし。

言葉だけでは伝えられないことはあるし、言葉がすべてではないけれど、自分の気持ちを言い表す語彙を知っているといないとでは気持ちのありようは違ってくる。
自分の気持ちをうまく言葉にできないともどかしいし、ぴったりはまる言葉を見つけた時は咽喉のつかえがとれたような気になったりもする。
逆に、言語化しないでいると失われてしまうものもあるし。

「ウォーター」を理解する前のヘレン・ケラーにも人間らしい感情がなかったわけじゃないだろうけど、言葉の理解なしには自分の感情を伝えることができなかったわけだから。

大河ドラマ「花の乱」がドラマとしてはいまひとつの印象だったものの、萬屋錦之介と対峙した場面で迫力負けしなかった野村萬斎の存在感は大いに目を惹かれたものだった。
で、同じ狂言師ということで「北条時宗」の和泉元彌もそれなりに期待感を抱いて見始めたけれど、演技の下手さに失望して脱落。
どこを下手と思ったかというと、「困った場面で困った顔をする」という引き出しのなさだったのだけど、それは演技以前に感情表現の引き出しが少なかったせいなんじゃないかと思う。
今にして思うと。
和泉元彌というと当時は結婚前で母親と姉がもれなく付き添っていて、ちょうど浅田選手と似たような状況だったし、師匠につかずに自主練習というのも共通点。
肉親以外との接点があまりに少ないと、感情の引き出しが乏しくなるものなのかなーと思ったりする。
たった2人、というか2家族の例ではあるけれど、他にそういう家族をみないし。

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2009年10月26日 (月)

やっぱり急がばまわれ

浅田選手の3Aがやたらと取り沙汰されるのは、例によってマスゴミが勝手に騒いでいるのかと思ったら、会見で選手が自ら口にしていたのでちょっと意外だった。
こだわっていたのは本人だったのか。

自分を見失って大技に頼るという点では4年前の安藤美姫とかぶるけど、選手の矜持というのもあるんだろうから、大技を持っている選手が大舞台で跳びたいと思うのはわからないでもない。
でも今はまだ五輪代表の選考段階。
ロシア杯は安全策をとっても2位は確保できただろうし、フランス杯の2位という結果と合わせれば、高確率でGPFへの出場権を手中にすることができたはず、というのが一般的な見方だと思う。
練習では絶好調だったというならともかく、練習から調子が上がらない状態で3A3回という賭けをする無意味さは素人にもわかる。
3A以外のジャンプも崩れていたし、安全策をとらなかったのではなく「とれなかった」という解釈も成り立つけど、そのあたりのことは報道されないんだな。
他の選手に対しては歯切れの良い荒川静香の解説が、彼女の演技の時だけ奥歯に物が挟まったみたいな言い方になったりと、みんな腫れ物に触っているみたい。

それと、トリノ前の報道の過熱ぶりと、その後に安藤が受けたバッシングを目のあたりにしたら「同じ轍は踏むまい」と考えるのが当然だと思うのに、周辺も本人も、これまで一切そういうことを配慮した様子が見られないのも不可解。
むしろ、CM、テレビ出演、必要性のない会見、曲の公開録音etc.と、積極的にマスゴミに話題を提供して騒ぎを煽ってきたようにさえ見える。
失敗した時の反動をまるで考えていないようで、「4回転とトリプルアクセルは違うからー」とでも思っているんだとしたら愚かなことである。

それから、コーチ変更が是か非かはともかくとして、今回の結果をタラソワのせいにするのは筋が違う。
トリノ五輪後、荒川静香がコーチをタラソワからモロゾフに変更した経緯と理由は繰り返し報じられていたから、タラソワに師事することのデメリットは周知の事実であったはず。
それをカバーすべく手を打たなかったのは選手側の失策。
だいたい、誰をコーチにするか以前に、他の有力選手はコーチがつきっきりで仕上げてきているのに、母親がコーチ代わりの自主練習という体制は、あまりにもお粗末。

スケートファン(一部熱狂的な人たちは除く)が「まず自身が納得できる演技をしてほしい」と、真摯な助言や苦言を掲示板やブログに載せているのを見るけれど、はたして当の本人に「納得できる演技」という概念があるのか疑問。
世界選手権で優勝した後の態度などを見ると、演技内容よりも結果重視みたいだし。
トリプルアクセルに頑なにこだわるのも、負けず嫌いな性格というよりも、「多角的に物事を見る」、「柔軟に思考する」といった訓練ができていないせいに思える。

これまでの4年間の経緯を見ていると、目の前の試合を勝つためにベストメンバーで臨み、バックアップの育成を怠ったジーコに重なる。

個人的な好みはともかく、ポテンシャルの高さは疑うべくもないから、専任のコーチについて他の選手と同様の練習体制をとることができれば復活はあると思う。
ただ、それには本人と保護者の意識が一番のネックになるだろうし、そこを解決できないから現状があるんだろうけど。


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追記:
帰国会見の「百発百中」発言に驚き、それがロシア杯でプルシェンコの演技に刺激を受けての言葉と知って、あまりの短絡思考に唖然とした。
しかも、サポート体制には変更なしとのこと。
いえ、プルシェンコのジャンプを見て「私も頑張ろう」と思うのは良いと思うんですよ。
ただ、そういう場合、普通は「頑張るために何が必要か」、「自分に足りないものは何か」等を真剣に考えるものだけど、そこのところがすっぽり抜けて、練習すればできると思っているらしいことに愕然としてしまう。
そうかといって、国別選手権からここまでの流れを見るに、マスゴミに向けては強気の発言をしておいて、密かに対策を講じる、というような芸当はできないし、しなさそう。

FSの「鐘」はピアノバージョンのほうが良いと思う。
もともとピアノ曲なのだし、ピアノのほうが重苦しさがなく観客も曲をとらえやすい。
公開録音などしてしまったから変えるに変えられないんだろうけど、なぜ、オーケストラにしてしまったんだろう。

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2008年10月 6日 (月)

リセットのハードル

留学仲介業者の経営破綻の件、「業者が悪い」というのは言うまでもないですが、それはそれとして、バブルが崩壊してずいぶん経つのに、いまだに「語学留学」を志す人がいる・・・というか増えているのに驚いた。
ブラッシュアップ症候群(今は青い鳥症候群?)とか批判もあったのに。

留学自体も、そのために会社を辞めることも、昔はもっとハードルが高かったけど、ワーキングホリデーとか語学留学という名目がずいぶんと低くしてしまった気がする。
正規の留学は狭き門だし、何か目的があるわけでもなく、ただ遊びに行くだけでは会社を辞めるところまでは決心がつかないのを「語学留学」という口実が出来たためにあっさりやめてしまった人も少なくないんじゃないかなー、と。
仲介業者・代行業者によって手続きが簡単になり、さらにハードルは下がったわけで。
ハードルが低くなるというのは一見良いことのように思えるけど、簡単に人生を左右しかねない決断をしてしまう人が増えてしまったようにも思う。
罪なことである。


ネットの普及で旅行の手配が楽になったことなどは本当にありがたいし、便利になるのは基本的には進歩であり、良いことです。
でも、こと私費留学に関してはハードルが高いくらいでちょうど良いんじゃないかと思う。
ほんとに留学したい人はそれでもなんとか行くんだろうし、手続きの煩雑さであきらめるのならそれまでのこと。
「海外に行って見聞を広める」のだったら旅行でじゅうぶんだし。


留学でも転職でも、本来は自分のキャリアの上にさらに積み上げていくものなのに、いわゆる「青い鳥症候群」の人って、いちいちリセットしてしまうんですね。
だから、いつもゼロからのスタート。
それと、コミュニケーションツールとしての語学は多少の努力でなんとかなるけど、それを仕事の武器にしようということになるとプラスαが必要・・・ということは、幾度となく語られていることだと思うのに、語学留学を志す人の耳には入らないらしいのが不思議。
語学以外に目的がある場合は別として、数ヶ月の語学研修で得られるものは知れているし、リセットと引き換えに得るものは少ないと思うのだけど。

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「カナダの人と友だちになりたくてカナダに行ったのに、語学学校はカナダの人がいないんだもん」
「そうだね、カナダの人は語学学校に英語習いにいかないよね」
語学留学した子が半年の予定を一ヵ月半で切り上げて帰国した時の会話。

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2008年9月14日 (日)

リトルマン・テイト

映画「リトルマン・テイト」をDVDにて鑑賞。
ずっと前に観た映画で、いずれDVDを入手しようと思っていたのを先延ばししていたのを、このたび購入に踏み切りました。

「リトルマン・テイト」の主人公はフレッド・テイトという7歳の少年で、生後数ヶ月で文字を理解し4歳で詩を書いた天才児。
フレッドは友だちが欲しいのだけど、あまりに頭が良すぎるため学校では孤独。
異質な存在を排除する子どもたちのイノセントな残酷さの描写もなかなか鋭い。
(フレッドが得意なのがスポーツの分野だったら子どもたちの反応が少しは違ったのかもしれないけど。)
フレッドの母ディーディーはシングル・マザーの酒場のウェイトレス。
息子を何にも代えがたく愛しているのだけれど、普通の幸せを願うあまり、英才教育施設からの勧誘を断ったり、フレッドが天才少年たちの本を読んでいると「それ、自慢話の本なの?」と小馬鹿にしたりと、天才であるが故の息子の孤独にはなかなか思いが及ばない。
でも、普通の学校では息子に友だちができないことを知り、天才児を集めたツアーに参加させる決心をする。
そのツアーで、フレッドは始めて知識欲を満たすことができ、友だちといえる仲間にも出会う。

ツアーの後、英才教育施設の経営者ジェーンは、それまで見てきた生意気な天才児たちとは違うフレッドの繊細さに惹かれて、ひと夏を自分の家から大学に通うこと、その後も自分の学院に入学させることを申し出る。
「フレッドにはふさわしい環境が必要。私ならそれを与えてやれる」と。
ディーディーは心ならずも息子のために申し出を受けることにする。

ジェーンの家から大学に通い始めたフレッドは大学の授業に充足感を味わうけれど、はるかに年上の大学生たちの間でやはり一人ぼっち。
知能は大人以上でも感情面はまだ子どもだから、怖い夢を見たりすると母が恋しくなってしまう。
フレッドと暮らすうちにジェーンは母性に目覚める(ダイアン・ウィーストの演技がイイ)けれど、そこはニワカ母親の哀しさで、幼い子どもをどう扱っていいのかがわからず、思うようになぐさめてはもらえない。
そんな紆余曲折を経て、フレッドには本当の母の愛情と能力に適した環境の両方が必要であることを「二人の母」が理解し、協力しあうようになる。

映画の中で一番好きなのが、フレッドがちょっと反抗的な大学生エディ(ハリー・コニックJr)と仲良くなるくだり。
フレッドは子どもの常として毎日遊べると思ってしまうのだけど、エディにはエディの生活があるので「毎日は勘弁してくれ」と言われてしまう。
「お前は子どもでオレは大人。その違いをわかれ」と言われたフレッドの表情が切ない。
頭ではエディの言うことが理解出来ている、でも気持ちは悲しくてしかたがないんだよね、と身につまされてしまった。
こういうことは、とりたてて天才でなくても、大人の中に立ち混じっている子どもにはありがちなことなので。

フレッドは飢餓や戦争のニュースを見て、心を痛めるあまり胃潰瘍になってしまうのだけど、普通の7歳の子どもはニュースを理解できないから、そういうことで心を痛めることはないし、ニュースを理解できるようになる頃には感情をコントロールできるようになるから、やはり胃潰瘍になったりはしない。
天才で優しいというのは、なかなか苦労が多いものです。
(二ノ宮知子の漫画に出てくる天才がみんなちょっと性格が悪いのはリアリティがある)

この映画の監督はジョディ・フォスターで初監督作品。
物語も良かったけれど、フレッドとディーディーが住む部屋のインテリアとかも洒落ているし、音楽も素敵。
久しぶりに観て、監督ジョディ・フォスターのセンスの良さを感じました。
それと、ジョディ・フォスターの演技を褒めるのも今更だけど、やっぱり上手いわ。


ところで、「リトルマン・テイト」を思い出したきっかけが週刊文春9月18日号の「早期教育が子供の脳を破壊する」という記事でした。
あまりに幼いうちから早期教育をしたことで子どもに弊害がでている、という内容。
記事の中で取り上げられていたのはフラッシュカードという単語カードで2歳くらいから暗記力を身につけさせようとするものだったけど、他にも0歳から英会話の教材を見せているとんでもない例もあるとか。
ピアノやバレエのように早くから始めたかどうかで差が出るジャンルもあるし、情操教育ならば早く始めることに意味はあると思う。
きれいなものを見せるとか、きれいな音を聴かせるとか。
でも、英会話とか暗記力って、そりゃ違うでしょ。
赤ちゃんの吸収力はすごいけど、それはコミュニケーション能力とか、情緒とか、生きていくために必要かつ基本的なことを学ぶため。
そんな大切な時期に子どもの脳に負荷をかけたら、そりゃ弊害も出るだろう。
本当に能力があるのなら、単語カードなど使わずとも身近にあるもので文字を覚えるでしょ。

こういうことを商売にする輩も許せないけど、自分の子のキャパシティがわからない母親、自分の行為が赤ちゃんにとってどれほどの負荷になるのかが感じ取れない鈍感な母親が少なからず存在することが情けない。

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)


記事に載っていた早期教育の実態と「リトルマン・テイト」のフレッドは、いうなれば対極にあるともいえるのだけれど、幼いうちから無理矢理知識を詰め込まれることも、天才なのに自分のレベルに合わない環境におかれることも、どちらも不幸なことだと思う。

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2008年6月 1日 (日)

モノンクル~伊丹十三

日本映画専門チャンネルで「13の顔を持つ男 -伊丹十三の軌跡-」を見た。
伊丹十三が多才な人だということは知っているつもりだったけど、思っていたよりも遥かに多才で、
かつ、一つ一つを極めた人だったことを知る。
子ども時代に描いた絵を見て、その類稀な観察眼と表現力には感じ入った。
そして、今のテレビのドキュメンタリーの手法は伊丹十三に負う部分も多かったのですね。

伊丹十三は、エッセイスト、俳優の順にその存在を認識して、「パスタをアルデンテで茹でる」ということを著書で知った、ということは以前にも書いたことがあるけれど、私にとっては「物知りで、わけ知りでハイカラな親戚のおじさん」のような存在だった。
もちろん精神的に、ってことですが。

子どもには、こういう「おじさん」的存在が必要なんじゃないか、と思ったりする。
たとえば「あ・うん」の父の旧友門倉とか、「更級日記」の主人公に「まめまめしきものはまさかりなん」といって「源氏物語」を贈るおばさんのような、生活に彩を添えてくれる人が。

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2008年3月31日 (月)

表現力という迷路~急がばまわれ

今季のフィギュアスケートはスカパーのJSportsを契約して見ました。
若干痛い出費ではあるのだけれど、その価値はあったと思う。
男子・女子とも実況・解説ともに落ち着いていて非常に心地よく競技を堪能できた。
女子の村主千香も良かったけれど、男子シングルの樋口豊・田村岳斗両氏の解説も素晴らしい。
まあ、地上波も、問題なのは実況のアナウンサーであって、解説に特に不満はないんですが。

男子の最終グループを録画で見直したのだけど、ともに不調だったランビエールと高橋大輔の演技にちょっと思うところがありました。
ランビエールはジャンプがことごとく決まらなくて高橋以上に不調だったし、表情が映し出されると「調子悪いんだなー」とわかる浮かない顔をしていて、演技全体にも元気がなかったけれど、一つ一つの振り付けの「型」が決まっていて、そこはとても美しかった。
なんていうか、振り付けのための手足の動きは無意識にできているんじゃないかと思うくらい。
高橋大輔に足りないものがあるとしたら、そこではないかと思う。
気持ちが乗っている時はほんとうに素晴らしい表現をするけれど、まだ、気持ちが乗っていないと動きの型が決まらないように思うので。
強化部長が高橋大輔について「確実な四回転を2回」と発言をしているけど、どんな選手でもジャンプの出来は好不調の波があるわけです。
それよりも「不調な時にジャンプ以外の演技の質をどこまでキープできるか」のほうが課題なのではないかと思ったりした。
能力の下限を底上げする、とでもいうか。
スケートに限ったことではないけれど、日本はとかくピークの時の力で能力を推し量る傾向があるけど、それよりも「やや不調」くらいの時にどこまで出来るか、のほうがモノを言うことが多い気がする。世界では。

と、つらつら述べてきたけれど、ほとんどの選手は「表現したいなにか」を内に有していて、表現力がそれに追いつかないために、それぞれレベルは違えども「表現力の向上」はすなわち「表現する技術の研鑽」を意味することになる、と思う。
これはスケートに限らず、表現すること全般にいえることだけど。

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2008年2月27日 (水)

保護者の義務とか

以下、競技ではなく教育問題的見地による興味なのですが。

浅田真央選手がコーチ解任及び拠点を日本に戻すとのニュース。
http://www.nikkansports.com/sports/p-sp-tp0-20080227-327931.html
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2008022702090794.html
コーチ解任の是非はともかく、日本に戻るという決断は本人のために良かったと思う。
周囲の大人もひっくるめたパッケージとしての「浅田真央」には不自然さを感じるので(控えめにいって)好きじゃないけれど、一人の17歳の女の子として見ると気の毒な状態だと思っていた。
優秀なスポーツ選手が学業より競技生活を優先するのはよくあることだし、ある程度はそういうことも許容されていいと思うのです。
でも、彼女の場合、極端というか、他の部分の犠牲があまりにも大きく思える。
どうやら語学習得が得手ではないんだろうし、物事への好奇心も薄そうだし。
(いずれも2年近くアメリカにいながら英語が上達しなかったことから判断。)
そういうタイプの子を同年代の友人や母国語の情報から引き離して長期にわたって海外で生活させたのは非常に酷だった。
言葉ができないということは情報も入ってこないということだから。

卓球の福原愛が大学を休学するかどうかで騒がれていたけど、彼女みたいにインタビューの受け答えがしっかりしていて、短期間で中国語を習得できるようなタイプなら、今学校に行くことにこだわらなくてもいいと思う。
学習能力も意欲もあるわけだから後になってから学ぶことができるし、黙っていても自分に必要な情報収集はするだろうし。
ハニカミ王子こと石川遼も同じく。
彼らの親たちがはたして「良い親」なのかという点については些か疑問もありますが、子どもたちは標準よりは上の社会的なスキルが身についている、ということはいえると思う。

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2006年11月 6日 (月)

いそがばまわれ

私の高校時代、日本史と世界史は選択科目だったけれど、「自分が好きだから」という理由で世界史を選択した。
今にして思うと、好きな科目を学校の授業で勉強することはなかったのかもしれない。
好きな科目だからこそ、どうせ誰にも言われなくても本を読むなり何なりするのだから、学校では受験に有利な科目を選ぶほうが利口だったかな、と。
でも、当時はそこまで頭がまわらず、好きな科目を選択し、その科目で受験できる大学を選ぶ、というのが当然だと思っていた。

未履修(履修逃れ?)問題の報道を見ていて思うに、生徒が受験に不利なことをしたくない、受験に有利な科目だけ勉強したいと考えることは、まあわからないでもないです。高校生なんて、まだ視野の狭い、短絡的な思考しかできない年頃だから。
でも、学校側がそれを率先してやってどうするのかと。
高校が受験勉強のためのみに存在する場所ならば、着たくもない制服を着て、時間通りに通う意味なんてない。
受験のための教科を教える技術なら塾や予備校の講師のほうが高いだろうし、資格を取得するための勉強なら自習で用は足りる。
でも、その時無駄だと思ったことが後で役に立つことは多々あるし、即効性のあること、目に見える効果があることだけが勉強ではないことは社会に出ればわかる。
そういうことも含めて教えるのが学校であり教師であり、そして親の役目であるはず。

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2006年10月22日 (日)

ライ麦畑でつぶやいて

自殺中2の同級生「先生がからかったので…」と両親に
福岡県筑前町立三輪中2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、同級生が「先生がからかっていたので、自分たちもしていいと思った」などと、遺族に告白していることが分かった。

毎日新聞の記事はこうだけど、ニュアンスが少し違いますね。

いじめっ子たちの行為が教師の非常識な言動の陰にかくれた観があって、そのことが気にかかっていたのだけど、この記事を読んで、「13歳って、こんなに幼稚なんだっけ?」と愕然としてしまった。
元担任の言動の酷さは論外で、自殺の直接の原因かどうかに関係なく、厳しい処分が下されてしかるべきだと思う。
でも、当の子どもたちが教師に責任転嫁したとなると、子どもにありそうなことではあるんだけど、それだけで片付けられない「イヤな感じ」、です。

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